ノーベル
出典: Jinkawiki
人物
アルフレッド=ノーベル(1833〜1896)は、スウェーデンのストックホルムに生まれる。不安定なニトログリセリンから、安全性の高い爆薬を作る研究を続け、1866年にダイナマイトを発明した。その後、ゼラチンダイナマイトやバリスタイトなど、爆薬の改良や発明を行う一方、石油事業にも乗り出して富を築いた。平和を願う彼の遺言によって、死後、遺産をもとにノーベル賞が設けられた。
発明家の父親
スウェーデンに生まれたノーベルは、父親が機雷を発明し、ロシアに火薬工場を開いたため、9歳の頃、一家でロシアに移り住んだ。やがて1853年、ロシアがトルコに進出し、クリミア戦争が始まり、父親の工場は大量の注文に追い立てられるようになった。アメリカなどで科学や機械工学を学んできたノーベルも、父親の仕事を手伝って忙しく働いたが、1856年に戦争がロシアの敗戦で終わると、両親と弟は共にスウェーデンに帰った。
ニトログリセリンとは
1864年にソブレロが発明した液体状の火薬。激しい爆発力を持つが、わずかな衝撃で爆発する一方、点火しても爆発しないこともある。心臓病の治療薬としても使われる。
ニトログリセリンに挑む
当時、火薬には黒色火薬が広く使われており、また、その何倍もの爆発力を持つニトログリセリンも発明されていた。しかし、液状のニトログリセリンは、取り扱いが非常に難しく、実用化されていなかった。
戦後、新しい爆薬の開発に取り組んだノーベルはニトログリセリン安全で確実に爆発させる方法を求めて、何度も実験を繰り返した。そして30歳の時、黒色火薬を起爆剤にしてニトログリセリンを爆発させることに成功。すると、ノーベルはスウェーデンに戻り工場を建て爆薬を売り出した。この爆薬は鉱山の採掘などに重宝がられ、工場には沢山の注文が舞い込んだ。
しかし、工場が大爆発をおこし、弟をはじめとする5人の工員が命を落とした。さらに、その後も世界各地で爆発事故が相次ぎ、ノーベルを非難する声が高まってしまった。
ダイナマイトの完成
より安全な爆薬を求めて、ノーベルはニトログリセリンを固体にして使う研究をした。実験を重ねた末、1866年に珪藻土にニトログリセリンを染み込ませる方法を発明し、強力な爆発力を持ちながら、落としても爆発しない安全なダイナマイトを完成させた。このダイナマイトは、世界中の鉱山や炭鉱、また道路や鉄道、運河などの工事に欠かせないものとなり、各国にダイナマイト工場が建てられた。
やがてノーベルは、爆薬の改良や発明で世界の火薬産業を支配するとともに、兄弟で始めた石油事業が成功して莫大な財産を築いた。しかし、ノーベルの発明した爆薬は、やがて、戦争でも使われるようになり、多くの人々が犠牲となった。このことに心を傷めたノーベルは、学問や平和に尽くした人に遺産から賞を与えることを遺言し、これをもとにノーベル賞が設けられた。
ノーベル賞とは
ノーベルの遺言によって生まれたノーベル賞は、現在、世界で最も権威のある賞とされている。彼の莫大な遺産は、ノーベル財団によって運用され、1901年以来、物理学、化学、生理学医学、文学、平和の5部門について、毎年「前年度に人類のために最大の貢献をした人」にメダルと賞状、高額の賞金が与えられている。
参考文献
目でみる 世界人物百科 3 産業・技術人物事典 日本図書センター
TIT