ノーマライゼーション5
出典: Jinkawiki
【ノーマライゼーションの誕生】 ノーマライゼーションとはデンマークで生まれた知的障害者の組合、「親の会」による大規模施設の劣悪な処遇の改善を求める運動に対し、当時のデンマーク社会相の担当官であった、ニルス・エリク・バンク=ミケルセンが提出した、「知的障害を持っていても、その人は、ひとりの人格をもつものであり、ノーマルな(普通の)人びとと同じように生活する権利を持つ人間である」という理念を盛り込んだ報告書をもとに作り出されたデンマークの法律が語源の概念である。一般に「1959年法」という名で呼ばれるこの法律は、デンマーク語で「Normaliserling(ノーマリセーリング)」という言葉が初めて用いられた法律として知られ、英語の表記では「Normalization」と書き、イギリス発音では「ノーマリゼーション」、アメリカ発音では「ノーマライゼーション」と呼ばれる。ノーマライゼーションの理念について、バンク=ミケルセンは「ノーマリゼーションとは、全ての人が当然持っている通常の生活を送る権利をできる限り保証する、という目標を一言で表したものです。(略)たとえ障害があっても、その人を平等な人として受け入れ、同時にその人たちの生活条件と同じものとするよう努めるという考え方です。<『「ノーマリゼーションの父」 N・E・バンク=ミケルセン増補改訂版』(花村 春樹)ミネルヴァ書房より>」と述べている。
【ノーマライゼーションの広がり】
具体的なノーマライゼーションの考え方が現れたものとしては、駅のエレベーター設置やノンステップバスの登場である。こうした福祉制度は1970年代から活発化した、障害者運動によって前進していった。特に駅のバリアフリー化は30年以上にわたる『交通アクセス運動』によって実現した。交通アクセス運動は、1973年(昭和48年)に仙台市で開かれた「車椅子市民全国大会」を皮切りに、同年京都市の地下鉄新設を契機に結成された「だれでも乗れる地下鉄にする協議会」や、山形駅前のエレベーター設置要求運動、東京都世田谷区の「梅ヶ丘駅(小田急電鉄)を誰もが利用できるようにする実行委員会の駅舎改善要求運動(1974年)など全国各地で主にエレベーターの設置や段差の解消を求める運動として展開された。1988年(昭和63年)には新宿で障害者当時の世界大会(リハビリテーション・インターナショナル)が開催されたのをきっかけに、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの障害者を巻き込み、エレベーターのない新宿駅の改善を求める大々的なデモが行われた。また、翌年には、DPI日本会議の呼びかけで、「だれもが使える交通機関を求める全国行動実行委員会」という組織が「駅にはエレベーターを、バスにはリフトを」(のちに「駅にはエレベーターを、バスはノンステップに」に変更)というスローガンのもと結成された。こうした長きにわたる運動が実り、1994年(平成6年)には「ハートビル法(病院や劇場、デパートなど不特定多数の人が利用する公共施設で、高齢者や障害者が支障なく利用できるように対策を促す法律)」が、2000年(平成12年)には「交通バリアフリー法」が施行された。2006年(平成18年)にこの2つの法律は「バリアフリー新法」として統合され、現在では、1日3000人以上が利用する駅のすべてについて、段差の解消、視覚障害者の転落を防止するための設備の整備などが義務付けられるようになった。「障害者にノーマルな生活を提供できるように、または、障害者が最大限の力を発揮できるよう、障害者個人のニードに遭った処遇とか教育とか訓練を含む、他の市民に与えられているのと同じ条件を彼らに提供する。」というノーマライゼーションの概念と実現は障害者たち自身の長年にわたる行政との粘り強い交渉から生まれた。
【現在のノーマライゼーションへの認識】
ノーマライゼーションはもともと「障害者に、すべての人がもつ通常の生活を送る権利を可能な限り保証することを目標に社会福祉をすすめること。」という障害者福祉理念として提唱された概念であるが、現在では「差別のない共生社会づくり」の理念として認識され、その対象はすべてのひとに向けられている。そのため現在では駅のエレベーターは足の不自由な方や、ベビーカーを押す女性のためだけではなく、部活や仕事で疲れた高校生やOLなどすべてのひとのために設置されていると考えるのが妥当である。
【参考文献】
・『「ノーマリゼーションの父」 N・E・バンク=ミケルセン増補改訂版』(花村 春樹)ミネルヴァ書房
・『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(渡辺 一史)北海道新聞社
編集者 新川