ハイラル・マキシム

出典: Jinkawiki

ハイラム・マキシム(Sir Hiram Stevens Maxim、1840年2月5日 - 1916年11月24日)はアメリカ合衆国メイン州出身の発明家である。
日本での知名度は低いが、エジソンに並ぶ19世紀を代表するエンジニアであるとされることもある。彼の発明は、飛行機からネズミ取りまで多岐にわたったが、数多くの発明品の中で真価を発揮したのは、後の第一次世界大戦での歩兵による塹壕戦の形を一変させた、反動式の機関銃(現在の分類ならば重機関銃)の発明であろう。彼の考案した重機関銃は、姿かたちこそ変わってはいるが、その根底をなす弾丸を発射する際の反動を利用し、次の弾丸を装填する自己駆動のシステムは現在においても使用され続けている。
彼が生まれた時代には多くの機関銃の発明があったが、彼が発明したマキシム式機関銃は、その中でもガトリングガンと並び非常にに優れた機関銃であった。

目次

機関銃の発明

彼が生まれた時代には、まだ弾丸を自動装填するブローバックアクションの銃は存在せず、彼が生まれる数年前にようやく、ボルトアクションの銃が現れ、マキシムが射撃を嗜むような年になっても未だ、実用に耐える自立駆動を持った銃は存在しなかった。
ある日彼が友人たちと射撃の訓練に出かけたとき、銃を打つ際の反動で肩を痛め自分一人では弾丸を装填することが難しくなる。そこで彼は、自動的に弾丸を再装填することはできないのかと考え、そして、弾丸の反動のエネルギーを、次の弾丸を再装填するためのエネレルギーにできないだろうかと閃き、そして遂に1883年、自らの経験をヒントに自立駆動の機関銃を発明する。
こうして彼は機関銃を発明したのだが、南北戦争を終えた祖国では関心を集めることができず、評価はされなかった。そこで彼は戦乱の匂いが強く、また友人に「金儲けならヨーロッパだ。簡単に命を奪う発明品に限る」と助言されヨーロッパ、イギリスへと移民しそこで大きな成功を得る。そして彼の偉大な発明品とそのシステムは、日露戦争をへて第一次世界大戦に鳴り物入りで登場することとなる。

マキシム機関銃の構造

彼の発明した自立駆動のシステムは現在でのシンプルブローバックアクションであり、今もなお改良を続け使用され続けている。
構造はそこまで複雑ではなく、簡単に説明すれば、弾丸を発射する際に生じる、高圧の燃焼ガスでスプリングに圧力をくわえ、そのスプリングの反動力を使って、薬莢の排出、次の弾丸の装填を行うシンプルなものである。もっともこの単純な構造だけでは問題も多く、弾丸の発射速度にラグタイムが生じ命中精度に影響したり、弾丸を発射し続けることにより、銃自体が熱をもちその熱によって弾丸が勝手に発射されてしまうことがあるなどの欠点もあった。しかしながら、それらの欠点を差し引いても、毎分数百発の弾丸を発射することができる兵器として高く評価された。また、現在では多くの改良がなされ、上記の問題もほとんど解決されており、またマキシム自身も、銃身の熱を抑えるための水冷式機関銃を発明している。

偉大なる発明品の与えた影響

彼の機関銃は当時主流だったガトリングガンと比べ弾丸の発射数も多く、また故障も少なかったため世界各地で売り込むことに成功し、1890年にはイギリス陸海軍で採用されまさに破竹の勢いで売れていく。そして日露戦争の際にはロシア側に配備され、日本に大きな損害を与え、マシンガンは戦争の必需品となっていく。だが、当時には有効なマシンガン戦略が存在せず強力な兵器ではあったものの、その有用性には疑問を覚えている者も少なくなく、大量の弾丸を発射できたとしても、直線でしか相手を狙えないため、正面から攻撃する場合大きな成果を上げられず、マシンガンは流行らなかった。
しかし、第一次世界大戦に入った1916年7月1日ソンムの戦いでマキシムのマシンガンは大きな成果を上げる。
ドイツ帝国対イギリス、フランス連合軍の戦いで、ドイツ帝国は塹壕に籠りマキシム機関銃の流れをくむマジンガンで迎撃、結果イギリス軍は約二万人という世界史でも類を見ない最悪の被害を出してしまう。両軍ともにドイツ帝国もイギリスも互いにマキシムの流れをくむマシンガンを配備していたが、その配備の仕方に差があった。直線に掘られた塹壕の正面にマシンガンを置くのではなく、両端に2機配備する形をとったドイツ帝国軍は、塹壕に対し平行になる形で弾丸を発射させ、弾丸のカーテンを作り、多くのイギリス軍人の命を奪ったのだ。この戦いから、マシンガンの有効な戦略が確立され、戦争はさらに機関銃を必要としていったのである。そしてマシンガンを突破するために、毒ガスが生まれ、戦車が生まれ、戦闘機が生まれてゆく。マキシムが考案した偉大なる発明品は、後の戦争を歩兵の数から、いかに低コストで高い戦果を出すかという兵器のパワゲームへと変えていったのである。

参考資料

ドキュメンタリー:「マシンガンの歴史」


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