ハリケーン・カトリーナ

出典: Jinkawiki

 2005年8月、アメリカ湾岸を襲ったハリケーンである。ハリケーン・カトリーナは1928年以降のハリケーンでは死亡者数、被害金額ともに最大であり、高潮、強風、大雨による壊滅的被害はルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ、フロリダ各州に及び、ニューオーリンズ市では堤防が決壊し、市の80%が水没した。アメリカ政府は1000人以上の死者数を発表した。生き残った市民たちも、壊滅状態の被災地から全米各地18州への避難を余儀なくされた。犠牲者をここまで多く出した大きな要因の一つに、FEMAの対応の遅れが挙げられる。

 8月25日、ルイジアナ州知事キャスリーン・ブランコによって、非常事態宣言が発令され、フロリダ、アラバマ、ミシシッピ、ルイジアナ等湾岸各州が、国防総省に兵員援助要求を開始した。8月27日午前5時、ハリケーン・カトリーナが、カテゴリー3ハリケーン(風速96~113ノット)に発達し、ブランコ知事はブッシュ大統領に、ルイジアナ州に対する連邦非常事態宣言の発令を依頼し、同日発令される。ブッシュ大統領は国土安全保障省とFEMAに、カトリーナ対策に関わる全権を委任した。しかし、この時ホワイトハウスの発令した非常事態宣言適用地域に、被災の特にひどかったニューオーリンズ市などの州南部エリアは含まれていなかった。8月29日、カトリーナがカテゴリー4ハリケーン(風速114~135ノット)としてルイジアナ州に上陸し、ニューオーリンズ市内では大規模な停電が発生、街路樹は倒れ木造家屋は破壊、車は吹き飛ばされる危険な状態になった。その日ブッシュ大統領は、自身の推進する高齢者向け医療・医薬品サービス民営化法案についての意見交換や遊説を行うため、アリゾナ州、カリフォルニア州を訪れていた。そしてブランコ知事がブッシュ大統領に緊急災害支援について電話で再度要請したが、これに対しての具体的対応は何もなかった。


参考文献

堤未果(2008)『ルポ 貧困大国アメリカ』岩波書店


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