バオ・ダイ

出典: Jinkawiki

バオダイ

1914‐97 グエン(阮)朝ベトナム第13代皇帝。在位1925‐45年。本名はグエン・フォック・ディエン(阮福晪)Nguyen Phuoc Dien。 1913年10月22日に、富春京城の皇城の紫禁城で12代カイディン(啓定)帝の長子として生まれ、1922年より宗主国のフランスへ留学した。 父親である啓定帝が1925年11月6日に崩御すると、1926年1月8日に皇城の太和殿にて皇帝に即位し、年号を保大とした後、留学を続けるため再びフランスへ渡った。 1932年にようやく帰国し,まずファム・クインらを用いて機構改革に努力した。 1934年にはカトリック教徒でコーチシナ出身の阮有氏蘭(南芳皇后)と結婚した。 1945年3月9日,在仏印日本軍は対仏クーデタ(三・九クーデタ)を起こしてフランス領インドシナを解体し,旧アンナン,トンキン,コーチシナを統一,バオダイ皇帝を元首とし,チャン・チョン・キムを首相とするベトナム帝国を成立させ、その皇帝となった。(しかし、この帝国には国としての権力はなかった。)

当時の日本軍人の中には、日本へ亡命中の畿外侯クォン・デをベトナム帝国皇帝に推す者も少なくなかったが、南方総軍や第38軍はベトナム新政権へ不干渉の方針で、軍政を敷かないことや親日政権への改編をしないことを既に決定していたため、バオ・ダイは独立したベトナムの最初の元首の地位を手にした。 しかし、日本が敗戦すると、その直後にベトナムでは八月革命が起こり、バオ・ダイは1945年8月30日に退位へ追い込まれ、1945年9月2日にはベトミンによってベトナム民主共和国の独立宣言がハノイでなされた。その後、バオ・ダイはホー・チ・ミンによってベトナム民主共和国政府の最高顧問に任命されたが、公式の外交代表団の一員として訪中時に亡命し、1946年にはイギリスの植民地の香港へ渡った。

ベトナムでは1946年にフランス連合とベトナム民主共和国の間で第一次インドシナ戦争が勃発したが、バオ・ダイは1949年にベトナムへ帰国し、フランスの支援により南ベトナムのコーチシナ共和国を吸収して樹立されたベトナム国の元首となった。 第一次インドシナ戦争の講和協定として、1954年にジュネーヴ協定が成立すると、ベトナム国は国際的な承認を得た。バオ・ダイは、1954年にゴ・ディン・ジェムを首相に任命したが、ジェムは1955年にベトナムの政治体制について問う国民投票を実施した。 その結果、ジェムは勝利し、ベトナム国を共和制へと移行させ、ベトナム共和国を樹立してその大統領に就任した。

バオ・ダイは元首から退任し、フランスのパリへ亡命したが、その後はベトナムへ帰国せずにカンヌ付近で余生を送り、1997年7月30日にパリの陸軍病院で死去した。

参考文献 Kotobank.jp http://kotobank.jp/word/%E3%83%90%E3%82%AA%E3%83%80%E3%82%A4

Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4

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