バターン死の行進
出典: Jinkawiki
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概要
1942年、日本軍に降伏したアメリカ兵とフィリピン兵を、炎天下の中行進させ、死に追いやった事件。
フィリピンのバターン半島で、約100キロメートル歩かせた。
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内容
昭和十六年十二月、日本軍のフィリピン攻略戦が開始される。
そのなかで、ルソン島のバターン半島に陣をかまえた米比軍と日本陸軍の第十四軍の間で戦闘が行われた。
この戦闘は一種の籠城戦という性格のものであり、勝負がつくまで四ヶ月を有するものになった。
4月9日、米比軍降伏。
決着がついたときには、陣を構えていた米比軍側には、病気が蔓延し栄養失調の兵隊も多数いる状況だった。
日本軍は、このような状態の捕虜を移送しなければならなかったが、移送のための装備(トラックなど)を殆どといっていいほど持っておらず、結果的には病気や栄養失調の捕虜を自力で歩かせる羽目になった。
このため、途中で倒れて死ぬ人間が続出し、これがいわゆる「バターン死の行進」というように呼ばれるようになった。
HN★Se
参考文献
「歴史基本用語集」 吉野教育図書編集部編
「バターン死の行進-@nifty」http://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/objection/4kousin.htm