バリ

出典: Jinkawiki

 インドネシアのバリ島は非常に美しい自然に恵まれている。バリ南部の東海岸から見えるアグン山の景観は格別だし、西海岸のクタ・ビーチのかなたに、海を紅に染めながら水平線に沈んでいく夕日の美しさは人を厳粛な神秘的な気持ちに誘い込む。涼しい山岳地帯で下方に広がる碧く澄んだ湖もすばらしい。そこかしこに咲いている熱帯の花々にも目を奪われる。若い人々には、各種の海洋スポーツが楽しめる島でもある。

バリの宗教

 大部分がイスラーム教であるインドネシア共和国のなかで、バリ島民は今ままでかたくなにイスラーム教を拒否し、古来のバリ=ヒンドゥー教を維持していており、固有の社会生活、宗教生活を営んできた。インドのヒンドゥー寺院は建物からなり、その中に神像が祀られているが、バリの寺院は壁で囲まれた敷地の中にいくつかの塔や小さい社が建てられており、神の像はない。太陽神スリヤはインドでは神像として崇拝されるが、バリでは神が降臨してくるとされる座(椅子のような形をしている)である。古代のインドネシアやポリネシアでは、神を祀るところは常に壁でかこみ、中は単に石を立てた開いた空間であった。ここで儀礼を行い、神々や祖霊を招くと、神格がこの石に降臨してくると信じられた。この石は直立しているものや机のような形をしたものであった。今でもバリ東部のトゥンガナン(バリ・アガと呼ばれる、ヒンドゥー教や宮廷の影響が少なかった村の一つ)には神聖視されている石がいくつかある。

 今ではバリ島の牛の数は少なくなり、耕運機が平坦部では耕作に使われているが、日常的には牛は役牛として農耕に使われ、儀礼のときの供犠として殺される。牛肉に対するタブーはない。ところがインドでは牛は神聖視され、これを殺したり食べることはない。また火葬はヒンドゥー起源であるが、インドの火葬は簡単であるのに対し、バリの火葬はできるだけ盛大に行なわれ、火葬をする広場まで華麗な行列を行なう。また神々や祖霊の祭りのとき、おびただしい数のきらびやかな供物を捧げるが、これもインドのヒンドゥー教には見られない。

バリのカースト制

 現在のバリ島民は自らの社会が四つのカスタ(カースト)に分かれていると考えている。これはもちろんインドのカースト制に由来するものである。バリの「カースト制」をインドのカースト制に比べるのは決して簡単ではない。インドのカースト制についても、一般化される定説があるわけではなく、地域的な差異もある。インドのカーストを述べるとき、重要な古典的な文献の一つはルイ・デュモンの『階層的人間』であるとされているが、これは刊行後数多くの批判を受けている。けれども、ここでは著名なデュモンのカースト論とデュメジルの古代印欧語族の当時形態の研究を仮のモデルとして、それをバリのカーストと比べてみたい。

 デュモンによればインドのカーストの本質は、ブラーマンとクシャトリアとの関係の本質は、地位と権力の分離という点にあるという。つまりブラーマンは宗教的な儀礼を司り、王は法的・行政的・社会的な権力を握っていたという。古代インドの社会は、神話の研究に基づいたフランスのデュメジルも、法的行政的な権力を持つミトラと、宗教的な儀礼を司る司祭ヴァルナとによる二重統治によって支配されていたと論じている。

 バリには(バリ式のスペルによれば)四つのカスタ、ブラーフマナ、サトリア、ウェシア、スードラがある。ブラーフマナ層出身のプダンダという司祭が儀礼を行い、それに対してサトリア出身の王が法的・行政的な統治を行い、ブラーフマナ層とくに司祭プダンダに敬意を払っていた。この二重統治におけるプダンダと王の関係は、兄と弟の関係であり、法的権威が宗教的権威に従うのは、弟が兄に従うのと同様であるといわれる。

 前述の二重構造はバリの村落にも見られる。日本の村落に比べるとその特色がわかる。日本の行政村はいくつかの集落(部落――明治以前のムラ)に分かれている。バリにおいても行政村はいくつかの慣習村に分かれ、これはさらにいくつかのバンジャール(部落)に分かれている。この点ではバリの村の構成は日本の村に似ているが、バリでは慣習村は宗教的な行事に携わり、慣習村の領域を清浄に保ち、穢れを蒙らないように努めなければならない。慣習村の法的な掟は宗教的に守るべき規則からなっている。これに対してバンジャールは、日常の相互扶助、共同作業を行なう単位である。つまり慣習村は儀礼的な権威を持ち、バンジャールには世俗的な生活上の責任が課せられるという点で、前述のブラーフマナ/サトリアの関係に類似の関係が読み取れるかもしれない。

 バリのカースト制はデュモンの言う意味でのカースト社会と見てよいが、バリのカースト制を全体としてみると、いくつかの点でインドのカースト制とは異なっている。

 インドのカーストにおいては、ヒエラルキー(階層制)の存在の他に各カースト間を執拗に分離させる規則(通婚、共食などの禁止)があるが、これらはバリにはあまりない。バリでは、婚姻は平民層(スードラ層)、貴族層(ブラーフマナ、サトリア、ウェシア)それぞれ自分のカーストの中での婚姻が望ましいとされている。貴族層の女性が平民層の男性と結婚するのは禁じられるが、平民層の女性と貴族層の男性との結婚はかまわない。異なるカーストとの結婚の禁忌もインドのようにきびしくないといえる。

 一層重要なのは、インドにおけるような、カーストによる分業がバリにはないことである。最高司祭プダンダがブラーフマナ層の出身でなければならないという点のみ例外である。したがって、インドのようなカースト間の経済的相互依存関係はバリにはない。また、インドのカースト制における不可触民(家畜の屠殺、道路掃除、糞尿処理、理髪、洗濯などの業務につき、カースト階層の最低位において、政治的、経済的に無権利の状態にいる)という考え方はバリにはないし、そういう汚いとされる業務を扱うカーストもない。

参考文献

吉田禎吾監修 河野亮仙・中村潔編 『神々の島バリ――ヒンドゥー教の儀礼と芸能』 春秋社 1994年

吉田竹也著 『バリ宗教と人類学――解釈学的認識の冒険』 風媒社 2005年


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