バルカン半島の歴史
出典: Jinkawiki
1.バルカン半島
2、バルカンの国土
半島内を分断する山脈の影響は、空から海にまであらゆるところに及んでいる。例えばわずかな雨しか降らないため、半島の大半は湿度が低い。戦時中に飢餓状態になったことからもわかるように、食料を輸入しなければ存続できない地域もある。バルカン全土が乾燥に見舞われているわけではなく、バルカン山脈の南斜面を下るとそこは空気も暖かく素晴らしい気候である。またバルカン半島の河川は、ただでさえ冬に流れが厳しいが、ひどいときは急流過ぎて船が航行できない。ひどく曲がりくねっているために重要な河川でも交易やコミュニケーションに利用するに限界がある。19世紀半ばからは、バルカン半島全体で道路の改良事業が行われたが、維持費が足りなかったり、道路が劣悪すぎたり、鉄道が伸びた影響で商業活動は列車が中心となり、より劣悪な道路が増えた。
3、バルカン新国家の形成
バルカンで国民国家が形成されるには、19世紀が丸ごと必要であった。長期にわたる実験的な過程であった上、この地域の「一般の人々」の多くは、まだ帝国の臣民のままで、オスマン帝国の支配下にあるか、あるいはクロアチア人やスロベニア人、セルビア人やルーマニア人などの場合のように、ハプスブルク帝国の支配下にあるかのどちらかだったからだ。自治から独立までの道のりは、ドナウ両公国の場合は100年以上を要し、セルビアとブルガリアは数十年かかった。クレタ島とサモス島も、オスマン帝国内で自治を獲得したが、第一次世界大戦前にギリシャの一部となった。こうした新生国家の内政に、列強は深く関与していた。ヨーロッパの王族から無位無官の子弟を連れて国王に据え、憲法を起草し、軍事顧問団や文官顧問団を結成した。バルカンの新しい状況が根本的に不安定だった理由はここにあった。
4、参考文献
バルカン「ヨーロッパの火薬庫」の歴史(2017):マーク・マゾワー」
バルカン半島