パレスチナ問題4
出典: Jinkawiki
アラブ分割政策と独特の植民地主義とを結合させるシオニズム運動と、これを19世紀の東方問題に代わる20世紀の中東支配・管理のための基軸的措置として利用しようとした強国の政策とが、からみあってつくりだしてきた国際的・社会的紛争。そこで絶えずアラブ人対ユダヤ人、さらにアラブ諸国対イスラエルという対抗関係の枠組みの割り切りが押し付けられた。また棄民としてのユダヤ人のパレスチナ導入がパレスチナのアラブの棄民としての排除をもたらす形式で国際的連関構造を持った住民追放が系統的に進められた。こうしてユダヤ人国家の対極として世界に離散したディアスポラ・パレスチナ人が、形成されパレスチナ民主主義がパレスチナ問題の克服要因として立ち現れた。
参考文献 世界大百科事典 発行平凡社 HN KAHI