パンテオン

出典: Jinkawiki

目次

パンテオン

多神教の古代ギリシア・ローマでは万神殿の意であったが、のち転じて国家的英雄・偉人の霊廟もさすようになった。

コロッセウムと並んでローマ文化の栄光を物語る代表的な建築である。

ローマのパンテオン

ローマ市内のマルス広場に建造された神殿。元々は様々なローマ神を奉る万神殿であったとされている。 前27年 初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパが創建したが80年炎上し消失。

2代目のパンテオンは120年ごろにローマ皇帝ハドリアヌスによって再建された。再建されたものは古代ローマ最大の円蓋建築であり、頂上部分にはオクルスと呼ばれる採光のための直径9メートルの開口部が存在する。

オクルスは、もともとネロが建築した黄金宮殿ドムス・アウレアの影響を受けて建築されている。

それまで一般の住居向けであるドムスの天窓を円形で建築することは非常に困難であったが、無数のアーチをつなぎ合わせるように建築することで円形のオクルスを完成することができたとされている。

ローマ神が信じられなくなったあとも、この象徴的な空間性によって破壊を免れており、609年キリスト教の聖堂に転じ“サンタ・マリア・ロトンダ”と呼ばれた。

毎年8月6日と9日には原爆忌 Mai più Hiroshima (Never more Hiroshima)が行われている。

パリのパンテオン

フランスのパリの5区、聖ジュヌヴィエーヴの丘に位置する新古典主義建築の建築作品である。

18世紀後半に”サント=ジュヌヴィエーヴ教会”として建設され、後にフランスの偉人たちを祀る霊廟となった。

パリの守護聖人、”聖ジュヌヴィエーヴ”に献堂するため、1755年に教会堂の建築設計競技が行われ、”ジャック・ジェルメン・スフロ”に設計を委託された。

スフロは、”ジャン・ロドルフ・ペロネ”と共にゴシック教会の構造を徹底的に解析し、石材の強度試験を行って、石造構造の軽快さ・洗練性を求めた。 ドームの構造はロンドンの”セント・ポール大聖堂”や、パリの”廃兵院”を参考にした。

のちにフランス革命期の国民議会によってフランスの偉人たちを祀る墓所として利用されることが決定され、その後ナポレオン及びナポレオン3世の時代以降、教会堂として使用された期間もあるが、1885年以降、三度偉人の墓所となり現在に至る。


外部作品

海外で好評を得ている文明を発展させていくストラテジーゲーム「CIVILIZATION」シリーズでは宗教の前提扱いを受けており、パンテオンから宗教が創始できるという、宗教で崇められる様々な神を祀っていたという概念を反映したものとなっている。

参考

コトバンク パンテオン https://kotobank.jp/word/パンテオン-118408

Wikipedia パンテオン(ローマ) https://ja.wikipedia.org/wiki/パンテオン_(ローマ)

Wikipedia パンテオン(パリ) https://ja.wikipedia.org/wiki/パンテオン_(パリ)


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