ベトナム戦争への影響
出典: Jinkawiki
ジョンソンはベトナム戦争を始めるきっかけを作ったものの、その拡大には難色を示したジョン・F・ケネディやロバート・マクナマラが画策していた正規軍の段階的な撤退政策を実施に移すことができず、1965年から1968年にかけて、アメリカ軍兵士の増強や北爆などを行い、戦争を肥大化させてしまった。それは何千ものアメリカ軍兵士の死と、およそその60倍のベトナム人の死に帰着することとなった。 アメリカ兵の戦死者がベトナムで増加し、テレビで戦場の模様が放映されると同時にジョンソンの人気は低下していった。特に「おい、おい、LBJ、今日は何人の子供を殺した?」などと書いたプラカードを掲げる学生達の抗議に遭い、マスコミからは連日とも言えるベトナム戦争への対応のまずさを批判されるようになった。その後、CBSの人気キャスターであるウォルター・クロンカイトからも参戦への疑問を表明されるに至って、1968年には北爆の中止と同時に、次の大統領選挙への不出馬を明らかにすることとなった。*1