ベトナム戦争13
出典: Jinkawiki
ベトナム戦争とは
ベトナムの独立と統一をめぐる戦争。1960年結成された南ベトナム解放民族戦線は、北ベトナムの支援のもとに、南ベトナム軍およびこれを支援するアメリカ軍と戦い、69年臨時革命政府を樹立。73年和平協定が成立しアメリカ軍が撤退、75年南ベトナム政府が崩壊、翌年に南北が統一された。
ベトナム戦争は宣戦布告なき戦争であるため、ベトナム戦争がいつ開始されたかについては諸説ある。南北ベトナムの統一戦争という観点からは、南ベトナム解放民族戦線がベトナム共和国(南ベトナム)政府軍に対する武力攻撃を開始した1960年12月という説が一般的である。
この戦争はアメリカを盟主とする資本主義陣営とソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営との対立(冷戦)を背景とした「代理戦争」であった。ホー・チ・ミンが率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)側は、南ベトナムをアメリカ合衆国の傀儡国家と規定し、ベトナム人によるベトナム統一国家の建国を求めるナショナリズムに基づく植民地解放戦争であるとした。
第一次インドシナ戦争終結後も、北ベトナムが支援する南ベトナム解放民族戦線(アメリカ合衆国民からの敵視表現ではベトコン)が南ベトナムで反政府活動を続けたため、アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー政権は少数のアメリカ軍人からなる「軍事顧問団」を南ベトナムに派遣した。ジョン・F・ケネディ大統領は軍事顧問団の規模を増大させた。リンドン・ジョンソン大統領は大規模なアメリカ軍を送ってベトナム戦争に積極的に介入した。
アメリカの他にSEATO(東南アジア条約機構)の主要構成国である大韓民国、タイ、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドが南ベトナムに派兵した。ソビエト連邦や中華人民共和国は北ベトナムに対して軍事物資支援を行うとともに多数の軍事顧問団を派遣したが、アメリカやSEATO諸国のように前面に出る形での参戦は行わなかった。さらにソビエト連邦は西側諸国で行われた反戦運動に様々な形での支援を行っていた。北朝鮮は飛行大隊を派遣しハノイの防空を支援した。
ベトナム戦争をめぐって世界各国で大規模な反戦運動が発生し社会に大きな影響を与えた。1973年のパリ協定を経てリチャード・ニクソン大統領は派遣したアメリカ軍を撤退させた。その後も北ベトナム+南ベトナム解放民族戦線と南ベトナムとの戦闘は続き、1975年4月30日のサイゴン陥落によってベトナム戦争は終戦した。
戦争概要 年月日 1960年12月~1975年4月30日 戦地 インドシナ半島 結果 南ベトナムの崩壊、北ベトナムによる赤化統一 交戦勢力 ベトナム共和国(南ベトナム)、アメリカ合衆国、大韓民国、中華民国(台湾)、オーストラリア連邦、フィリピン共和国、タイ王国、ニュージーランド、クメール共和国(現:カンボジア)、ラオス王国(現:ラオス人民民主共和国) ベトナム民主共和国(北ベトナム)、南ベトナム解放民族戦線、民主カンプチア(現:カンボジア)、パテート・ラーオ、ソヴィエト社会主義共和国連邦、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国 戦力 南ベトナム側 延べ約150万人 北ベトナム側 延べ約52万人 損害 南ベトナム側 推定戦死者285,000人、行方不明者149万人、民間人犠牲者158万人 北ベトナム側 推定戦死者117万人、行方不明者60万人、民間人犠牲者300万人
Vietnam War. 1960~1970年代にかけて、インドシナ半島の支配権を巡って起きた戦争。 第1次インドシナ戦争の結果として南北分断されたベトナム両政権に、アメリカ・ソ連がそれぞれ介入して大規模な代理戦争に発展した。
<参考>航空軍事用語辞典 http://www.weblio.jp/cat/engineering/kkgnj