ベトナム戦争15

出典: Jinkawiki

目次

ベトナム戦争

ベトナム戦争は、ベトナムの独立と南北統一をめぐって、〈南ベトナム解放戦線と南ベトナム解放戦線を支持する北ベトナム政府〉、〈南ベトナム政府とこれを支持するアメリカ政府〉の両者の戦いである。ベトナム戦争はアメリカ合衆国にとって最も長い戦争であり、また初めて負けた戦争であった。ベトナム戦争では、宣戦布告がされていないため明確な開始時期は決まっていない。
ベトナム戦争は、アメリカ合衆国を中心とする資本主義陣営とソビエト連邦を中心とする共産主義陣営との冷戦の対立を背景としたものであり、いわゆる代理戦争であった。ホー・チ・ミンが率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)側は、南ベトナムをアメリカ合衆国の傀儡国家であるとし、ベトナム人によるベトナム統一国家の建国を求めるナショナリズムに基づく植民地解放戦争であるとした。

ベトナム戦争の発端

第二次世界大戦終結後、アメリカとソ連の対立の冷戦時代に突入する。東アジアにおける冷戦は米中間の対立を軸に展開していた。アメリカは共産主義からの軍事的脅威の最前線としてベトナムを警戒した。そのため、南北に分かれていたベトナムだったが、社会主義国の北ベトナム政府のベトナム統一の攻勢が強くなり、南ベトナムから撤退したフランスに代わり、アメリカが南ベトナムに介入した。ベトナムを社会主義国にしたら、その共産主義の勢いが全アジアにまで拡大するとの懸念からの南ベトナムへの介入であった。1959年から60年にかけて、南ベトナムで始まった米国及びゴ・ジン・ジェム政権に対する武装闘争は、1960年12月の南ベトナム解放民族戦線の結成を機に、政府軍との本格的交戦に突入した。ケネディ米大統領(当時)は特殊部隊4000人の派遣を決定、その後も漸次増強させた。ケネディ大統領暗殺後、米大統領に就任したジョンソンは1964年8月、トンキン湾での米艦艇に対する北ベトナム軍の攻撃(トンキン湾事件)を利用して米議会の戦争拡大支持を取り付け、翌年2月7日、17度線北方のドンホイ爆撃をもって北ベトナム爆撃(北爆)に踏み切り、最大54万人の兵力を南部に投入した。


終結

1968年1~2月に南ベトナム全土での解放勢力による一斉攻勢(テト攻勢)で大打撃を被ってから、米軍は都市防衛に釘付けにされていた。守勢に立たされた米国は、世界的規模の反戦運動の圧力にも押され、1968年10月に北爆全面停止を宣言、翌年から撤兵を開始。米軍の援助を失った南ベトナム軍はやがて瓦解、1975年4月30日、ズオン・バン・ミン大統領は首都攻略を目指す解放勢力の軍事作戦(ホー・チ・ミン作戦)の前に無条件降伏した。南ベトナム解放民族戦線、北ベトナム側兵員の犠牲者は110万人に上った。
ベトナム戦争によって、米軍には約30万人の負傷者と約58000人の戦死者が出た。戦場での凄惨な体験から精神を病んでしまった人も多い。ベトナム帰還兵の心理的障害が広く認識されて社会問題となり、精神医学や軍事心理学において心的外傷後ストレス障害(PTSD)の研究が展開した。
アメリカ軍は南ベトナム解放民族戦線の浸透作戦を防ぐため枯葉剤を大規模に利用した。戦後、ベトナム市民やアメリカ軍のベトナム帰還兵の間で枯葉剤への接触を原因とする健康被害や出産異常が発生する事態が起きた。また、広範囲を焼き尽くす兵器であるナパーム弾についても人道的に避難されることとなった。戦後の1980年には特定通常兵器使用禁止制限条約において市民に被害が出る可能性のある際の使用が禁止された。


戦争の意義のあいまいさ

ベトナムでは、アメリカ合衆国は「アメリカ帝国」と呼ばれ、ベトナム戦争は「抗米救国戦争」と呼ばれていた。ベトナムでは祖国を救うため帝国主義のアメリカに対抗した戦争であった。ベトナム側から見ると、この戦争は外国からの侵入に対し、自分たちの国を守るための正義の戦争だった。強大な軍事力を持つアメリカは宣戦もせずに攻撃しにやってきて、生活がまだ困難であった北ベトナムの人々に爆弾を落とし、南ベトナムの政府をアメリカの好き勝手にコントロールしようとした。これがベトナムからみたアメリカの姿であった。共産主義からベトナムの人々を救い出すという大義名分は、共産主義をめざしているベトナムの人々には何ら意味がなく、アメリカが行ったことは明らかな侵略行為である。アメリカの戦争指導者があげた理論や理由はあるが、アメリカ人を含む全世界の人々にとってベトナム戦争は意味のはっきりしない戦争だった。このことは、当時アメリカ国内、世界各地で起きた「ベトナム戦争反対運動」がはっきりと示している。

参考文献

ブリタニカ百科事典
一アメリカ人兵士のベトナム戦争-Bruce Anello の日記がつたえるもの― 2008年 敬愛大学 Pham Dug Quang
三野正洋『わかりやすいベトナム戦争』光人社、1990年

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