ベトナム戦争22
出典: Jinkawiki
ベトナム戦争の歴史
ベトナム戦争は第一次から第三次までからなるインドシナ戦争の総称としてその名がついたとされる。これから第一次から第三次までの概要を示す。
第一次インドシナ戦争
19世紀以降、東南アジアはヨーロッパ列強の侵略により植民地化が進んだが、ベトナムにおいても同様に、フランスの保護国となりフランスのいわば植民地政策の圧政下におかれた。しかし、第二次世界大戦中にフランスがドイツに占領されフランスがベトナムに目を向けられないことをいいことに日本が介入した。もちろん、このことはフランスも承諾した。ところが周知のように日本は第二次世界大戦で敗北したためホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟(ベトミン)がベトナム民主共和国として独立宣言をした。しかし、内政の実権を握っていたフランス政府がこれを拒否1964年に攻撃を行ったことがこの戦争の始まりである。この戦争は7年半にわたり当初はベトミンが劣勢だったがソ連と中国の援助があり1954年にフランスが降伏しフランス支配が終わった 。
第二次インドシナ戦争
この戦争は「小文字の戦争」と呼ばれることがある。なぜならば正式な宣戦布告がなされずいつ始まったかはっきりしないためである。第一次インドシナ戦争の際にジュネーブ協定が締結されその後ベトナムにおいては北部にベトナム共和国が成立し社会主義の道を進むことになった。一方南部には親米的な南ベトナム共和国が成立した。ここでなぜアメリカなのかというと第一次インドシナ戦争の際にフランス軍を助けたのがアメリカであった。地図を見ると分かりやすいが先に述べたようにソ連と中国はベトナムの北側に位置するのでそこから援助を行い逆にアメリカは南から援助を行った。ジュネーブ協定では締結未燃後に南北の統一選挙実施することとなっていたがアメリカと南ベトナムがこれを拒否したことがこの戦争の火種となった。この戦争でアメリカにとっては長くお金も多くなにより犠牲者の数がとても多くなったことで国内で反戦運動がおこりアメリカの撤退という形で幕を閉じた。
第三次インドシナ戦争
第二次インドシナ戦争が終わったことでアメリカが撤退してほどなくしてベトナムは南北統一を果たした。しかし、この統一を中国が良く思わなかった。なぜならば北にいた中国人と南いた中国人の扱いが等しくなかったためである。さらに対米に勝利したことで自信となり隣国のカンボジアに侵攻を開始した。カンボジアは共産主義であったため中国とは良い関係を築いていた。そのためこの戦争では中国とカンボジアに対しての戦争であった。 ソ連の介入によりカンボジア問題の改善、中国との関係改善がなされカンボジアからベトナムが撤退した。フランスやタイ、オーストラリア、日本の仲介によりカンボジア和平パリ協定が締結されこのことでようやく長きベトナム戦争が終焉したのだ。
参考文献
「ベトナムの世界史」 古田元夫 1995年 東京大学出版会
「ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場」 松岡 完 2001年 中公新書
「ヴェトナム戦争前史」 小倉 貞夫 1992年 岩波新書