ベトナム戦争32
出典: Jinkawiki
ベトナム戦争とは主にアメリカの率いる資本主義を掲げた陣営と、ソビエト連邦の率いる社会主義を掲げた陣営との争いである。これはこの二つの陣営間に生じた対立を原因とし、両陣営の主要な国が直接衝突することなく争う「代理戦争」という形となった。
戦争の流れ
1945年第二次世界大戦における敗北によりベトナムから日本軍が撤退、それを契機に9月にホー・チ・ミンが北部にベトナム民主共和国を樹立、独立を宣言した。このベトナム民主共和国とフランスの傀儡国家である南ベトナムが戦争を起こす(第一次インドシナ戦争) この戦争は8年続き、1954年にベトナム民主共和国の勝利で幕を閉じ、ジュネーブ協定により北緯17度線を境に南北に分断される。この時南ベトナムにはアメリカが後ろ盾としてつき、国名をベトナム共和国へと改める。 このベトナム共和国の内政の腐敗により北ベトナムは武力による統一を目指し南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)を結成、内戦へともつれ込む。この時北ベトナムにはソビエト連邦が、南ベトナムにはアメリカがバックとしてついていた。 1964年のトンキン湾事件をきっかけとし、1965年アメリカが軍隊を送る直接介入に踏み切った。 この際アメリカ軍は伝染病を媒介する害虫の駆除を口実に掲げ大量の枯葉剤を散布、今なお後遺症に苦しむ人が大勢いる。 アメリカの猛攻撃にさらされた北ベトナムはゲリラ戦を行いアメリカ兵を苦しめた。 さらにジャングルの中ではアメリカ兵の補給が困難であったこと、北ベトナムに対しソビエト連邦が支援を行っていたこと、アメリカ本土で反戦運動が起きたことなど様々な要因が重なりアメリカ軍は撤退、1975年4月30日北ベトナムの勝利によって10年にわたって続いたベトナム戦争は幕を下ろした。
戦争における傷跡
戦争の際にアメリカ軍の散布した枯葉剤により、ベトナムでは奇形児が生まれることが多くなるなどの後遺症が残っている。さらにアメリカ軍のベトナム帰還兵にもPTSDを患った者が大くおり、社会に溶け込むことのできない者も多くなった。 映画「ランボー」では、こうしたアメリカ軍のベトナム帰還兵の戦後の社会における苦悩が描かれている。
出典
わかりやすいベトナム戦争ー超大国を揺るがせた15年戦争の全貌(新しい眼で見た現代の戦争) 著 三野正洋 光人社(1999/12/1)
ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場 著 松岡完 中公新書(2013/11/15)