ベトナム戦争56
出典: Jinkawiki
ベトナム戦争とは主にアメリカの率いる資本主義を掲げた陣営と、ソビエト連邦の率いる社会主義を掲げた陣営との争いである。これはこの二つの陣営間に生じた対立を原因とし、両陣営の主要な国が直接衝突することなく代理で争う代理戦争という形となっていた。
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戦争の概要
1945年に第二次世界大戦での敗北により日本軍がベトナムから撤退した。それを契機に9月にホー・チ・ミンが北部にベトナム民主共和国を樹立し、独立を宣言した。このときに生まれたベトナム民主共和国とフランスの傀儡国家である南ベトナムが戦争を起こすこれが第一次インドシナ戦争である。この戦争は8年間もの間続き、1954年にベトナム民主共和国の勝利で幕を閉じ、ジュネーブ協定により北緯17度線を境に南北に分断された。この際アメリカが後ろについていた南ベトナムは国名をベトナム共和国へと変えた。しかしこの共和国の内政に腐敗が広がったため、北ベトナムはそれに乗じた武力での統一を目論んだ。その際に組織されたのが南ベトナム民族解放戦線通称ベトコンである。
枯葉剤
1964年トンキン湾事件を契機とし、1965年にアメリカが直接介入として軍隊を送り込んだ。その際に伝染病を媒介する害虫の駆除を口実とし、大量の農薬、枯葉剤を散布した。この枯葉剤の影響は強く、今なお後遺症に苦しむ人々が多くいる。
ゲリラ戦法
アメリカと対峙した北ベトナム軍はジャングルの中での罠や不意打ちなどによるゲリラ戦法を用いアメリカ軍を苦しめた。結果的にアメリカ軍は撤退。1975年にベトナムの勝利でベトナム戦争は幕を降ろした。その要因としては、北ベトナムに対しソビエト連邦が支援を行っていたこと、アメリカ本土で反戦運動が起きたことなどが主に挙げられる。
傷跡
戦争の後に残ったものとしてベトナムには枯葉剤の後遺症が、アメリカ側にはPTSDの患者が多く残った。
出典
ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場 著 松岡完 中公新書(2013/11/15) わかりやすいベトナム戦争ー超大国を揺るがせた15年戦争の全貌(新しい眼で見た現代の戦争) 著 三野正洋 光人社(1999/12/1)