ベルサイユ宮殿
出典: Jinkawiki
ベルサイユ宮殿 パリ南西郊外のベルサイユにある、ルイ14世の造営になる宮殿。東端に位置する宮殿 ch「teau、その背後に広がる庭園、離宮グラン・トリアノン、プチ・トリアノンなどからなる。 そもそもベルサイユは狩りの獲物の豊富な村だった。そこへアンリ4世とその息子ルイ13世とが注目をする。その後1624年にルイ13世は狩りのための館を手に入れ、1631年に城館を建てた。それがこのベルサイユ宮殿の初めだった。 ルイ14世の代になると、騒擾事件が頻発し衛生状態のよくないパリの町を嫌った彼は、郊外の森に囲まれた田園地帯に、ルイ13世時代の狩りの館を大々的に作りかえる形で、まったく新しいタイプの宮殿とそれに付属する都市を構想し、その意匠を王宮建築家たちにゆだねた。 田園地帯に幾何学的な形態をまとった宮殿と都市とが新たに計画された例としては、それよりも半世紀ほど早く枢機縁リシュリュー Richelieu の主導によって進められたリシュリューの町と城館の建設がもっとも先駆的な事例として知られているが、ベルサイユの場合は、それを国家的規模で行い、しかも国王の居館のみならずパリにあった政府機関をすべてここに移し直したという点で稀有のものであった。 実際、宮廷関係の人間は約2万人にも及び、そのうち貴族、執政者が1000人、その家臣4000人、計5000人前後が宮殿内に起居し、さらに1万4000人にものぼる従者や兵士たちが付属の建物や町の中に住んでいたという。