ベルリンの壁

出典: Jinkawiki

1945年第二次世界大戦終戦の後、ドイツは分割された。その際ドイツの 領土は、戦勝四大国(アメリカ・イギリス・フランス・旧ソ連)の分割占 領下に、またベルリンは同戦勝四大国の共同占領下におかれた。つまりベ ルリンは名目上四国一緒に統治という形である。そして1949年には、西 ドイツと東ドイツが成立したが、東西ドイツとはいっても後に統一される という前提だったので、両国の境界はゆるやかなものであった。ところが 1952年西ドイツが西側陣営に組み込まれると、東は国の境界を厳重なも のにした。このため東ドイツから西ドイツヘいくためには、まず通行の自 由なベルリンにいき(共同占領下だから移動は自由)、東ベルリンから西 ベルリンヘ、そしてそこから西へ飛行機で飛ぱなけれぱならなくなった。 多くの人の西への流出のため、1961年8月13日、東ドイツは両国間を鉄 条網で遮断、3日後には本格的な壁を造り始めた。壁そのものは、高さ約 4メートル、厚さ約15~30センチの硬質のコンクリートでできていて、 東西ベルリンを43キロにわたって区切っていた。また西ベルリンと東ドイ ツの境界部分にも事実上の壁が110キロ囲っていた。同年9月15日には東 ドイツ国境警備警察約5万人が「国境警備隊」として人民軍に編入され、こ の兵土らには「越境しようとするものは必要とあれば射殺せよ」との命令が 出された。1962年になると、鉄条網は二重に張りめぐらされた上、国境線 と外側鉄条網にはさまれた空き地には「木箱型地雷」(ソ連製PMD型地雷) が敷設された。(地雷は人道的にみてやりすぎという諸外国の反発により取 り除かれた。ところどころ銃眼つきの監視塔が立ち、警備用四輪駆動車が鉄 条網沿いに行き来する。国境の鉄条網や壁は東ドイツが一方的に立てたもの なので、200メートルにおよんでもそれは東ドイツ領土内に収まっている。

知ってのとおり、この壁を越えようとして多くの悲しい出来事も起こったが、 1989年多くのデモや社会主義の弱体化などでとうとう同年11月9日にベル リンの壁が崩れ、続く1990年10月3日両ドイツの再統一となった。

脱出した人数

1945~48年までに(戦争後から両ドイッが建国されるまで)…73万人 1949~61年までに(建国から壁ができるまで)…68万6942人 1961年~88年末までに…61万人          第三国経由で脱出した人…16万人          命懸けで壁を越えた人…4万人          西ドイッが金を払って受け入れた人(政治犯等)・・3万人          年金生活者…38万人   このうち壁越えようとして殺された人が81人東西ドイツの国境を越え   ようとして死んだ人が約120人。

1989年2月5日、ChrisGueffroyという20歳の青年が国境を越えようとして 射殺され、ベルリンの壁を越えようとして命を落とした最後の犠牲者となった。 母親カリンは1990年1月東ドイツ検察庁に対して、国境警備兵を殺人罪で告発 した。

ベルリンの壁構築にあたって

1961年8角13日深夜、壁(正確には鉄条網)が、一夜にして東西ベル リンの境界に造られる。午前2時、ブランデンブルク門のサーチライト が然消え、銃を持った兵士、ジープ、トラック、装甲車がかすかな光を 背景にシルエットなって浮かぴ上がった。そのころ東西ベルリンをまた がって走る国鉄が止められて境界線手前で乗客は降ろされ、また車の連 絡通路もほとんど遮断された。この時はまだ330万のベルリン市民は安 らかに寝ていたが、これにより53000人の越境労働者は職を失い、数十 万の家族が引き裂かれ、この日は悲しみと嘆きのどうしようもない一日 となった。そして3日後には本格的な壁が建設された。壁ができた理由 としては、前述の東から西への流出を抑えるため(特に労働力の確保と して)とベルリンで二つの貨幣が通用していたため起きた経済の混乱を ふせぐためである。社会主義体制をとる東ベルリンと東ドイツでは国家 補助による低価格の日用品などが強い西の通貨でさらに安く買われてし まい、これはすべて東ドイツの負担になってしまった。これでは社会主 義計画経済の前提が成り立たず壁の構築へと至ったのである。

参考:

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ベルリンの壁崩壊


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