ホレース・マン

出典: Jinkawiki

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ホレース・マン

アメリカ公教育の父、ホレース・マン。ブラウン大学を主席で卒業して後、しばらく法律家として活躍した。その後マサチューセッツ州の教育長となり、世界に先駆けて公教育を整備化した。新興国家アメリカで、教育こそ何よりも重要な事業だと信じ活動したホレース・マンの、力強い思想が感じられる教育学の名著である。マサチューセッツに入植したピューリタン移民たちが、新世界アメリカの将来の希望に燃えて、教育の無償制を導入したのが1647年のこと。それはフランス革命後の公教育整備に、150年も先駆けるすごいことだった。それから200年、ホレース・マンはこの偉大な祖先たちの事業を、より完全なものとするため活躍した。


民衆教育論

ホレース・マンがこれを説いたのは、まず、世界に先駆けて教育の無償制を実現したマサチューセッツ州に、多くの人がその「原理」を知りたいと訪れたからである。そしてまた、州内の教育関係者たちに対しても、ちゃんと公教育の「原理」を理解してもらう必要があったからという理由も含まれるであろう。そして何よりも、ホレース・マンが基礎づけたかったことは、教育の「無償制」である。入植から200年、3世代、4世代目のアメリカ人たちの中には、次第に、自分の稼いだ金が教育税として徴収されることを、拒否する者たちが現れるようになった。そこでホレース・マンは、なぜ教育が無償でなければならないのかを説いた。ホレース・マンによると、自然というのは、誰のものでもなく、それは神のもとに共有されるべき財産であり、だからこれは自分のものだと言ったって、ほんとうはそもそも、それは全人類のためにあるものなのだという。 「したがって、どのような手段を用いて財産を手に入れたとしても、威厳ある世代の継続進行において、次代の継承の要求や主張を無視して、財産を保持し、処分するいかなる自然的権利も、いかなる道徳的権利も、何人も有していないことは抗すべからざる結論ではないだろか」 プロテスタントの国アメリカであってみれば、そしてまた、大自然の広がるアメリカ大陸にあってみれば、このような思想が出てくるのも当然のことだろう。また、財産はほんとうは自分個人のものではなく、子孫のために使われるべきものだ。この思想が、ホレース・マンの公教育「無償制」の根拠を支えている。

しかし今からみれば、これはかなり無理がある議論だと考えられる。自分で働いて獲得したものも、そもそもは神のもとにおいて人類共通のものなのだから、これを他人のために差し出せ、といわれても、納得しない人は多いだろう。教育の無償制の根拠は、「合意」以外にありえない。社会がうまく成立していくためには、そしてその中でちゃんと生活できるためには、教育は無償制であることが最もよい。そのような「合意」があって初めて、公教育の「無償制」は正当化されるのだ。


功利主義的教育観

ホレース・マンは、とにかくみなが教育を受けられるようにならなければと考えた。しかし当時は、子どもを学校にやるくらいなら、働かせたほうがよっぽどいい、と考える親たちもまた多かった。そこで彼は、教育がどれほど経済的にも立身出世的にも有効であるかを次のように説いた。「されば教育は、人間が考えだした他のあらゆる工夫にまさって、人々の状態を平等化する偉大なはたらきをするものである。教育は社会という機械の平衡輪である。」そうして全体の福祉を上げることと、教育を偉大な平等化装置とすることを教育の目標とした。


参考文献

『世界教育学選集 7 民主教育論』 ホレース・マン著 久保義三:訳 明治図書


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