ホロコースト
出典: Jinkawiki
ホロコースト the Holocaust
戦争中には数多くの戦慄的な出来事がおこったが、中でも、ナチスがヨーロッパのユダヤ人を絶滅させようとして行ったホロコーストはもっとも衝撃的なものだった。
現在では、ナチスによるマイノリティ集団の迫害、とくに第二次世界大戦中に行われた「ユダヤ人絶滅政策」を意味している。
もともと「丸焼きにすること」という意味のラテン語holocaustumに由来するもので、ユダヤ教とでは神への捧げ物を示す言葉として用いられた。 1978年にアメリカで放映されたテレビ映画「ホロコースト」のメガヒット以降、この語がナチスによるユダヤ人絶滅政策を指す語として一般に定着した。
このほかにも最大規模の収容所のあった地名から、絶滅政策は象徴的にアウシュビッツ(Auschwitz)と呼ばれたり、「破壊」を意味するヘブライ語から「ショアー」(Shoah)とも呼ばれたりしている。
このホロコーストの起源はもちろん、ヨーロッパの長い伝統を持つ反ユダヤ主義にある。宗教や社会・経済的立場の相違、あるいは「人種」など、それは支える根拠は時代や地域に応じて異なるものの、とりわけカトリックでは伝統的にユダヤ教とを「神殺し」と説教してきたこともあって、歴史を通じて反ユダヤの意識そのものは、キリスト教社会で生きる民衆の深層心理の中に、深く根をおろしてきた。
19世紀末にも、一方ではロシア各地で「ポグロム」という民衆レベルのユダヤ人虐殺が頻発し、他方では西欧でも「ドレフェス事件(1894年)で典型的に見られるように、すでに公共の場ですら反ユダヤ主義の嵐が吹き荒れていた。そのなかで、同時期のドイツでは例外的にこの伝統が顕在化しておらず、ロシアでのポグロムを逃れてきたユダヤ人たちには、そこはいあわば反ユダヤ主義の大海浮かぶ、憩いの孤島と映っていたに違いない。だが、潜在的にはこのドイツでもやはり反ユダヤ的な意識は根強く残っており、それはやがてナチズムの時代に、国家主導の絶滅政策という恐るべき形で表面化することになる。
ホロコーストという現象が、歴史上のほかのユダヤ人迫害と異なるのおは、「国家による組織的かつ効率的な大量殺戮」という点である。民衆の無計画な虐殺とは違い、そこでは国家システムによって一民族を根絶するために、いかに効率よく大量の人間を運び殺害するかに重きがおかれた。人間の尊厳すら完全に葬り去った空前の政策は、戦時中おもに東欧地域で実行され、ドイツ本国ではひた隠しにされていたが、大戦におけるドイツの敗北によってその実態が暴露され、世界中に大きな衝撃と恐怖をもたらすことになる。
ゲットー 1940年、ポーランドの首都ワルシャワに住むユダヤ人はゲットー(ユダヤ人強制居住区)に追い込まれ、そこは完全封鎖された。その中では、たくさんの人が病気や飢えで死んでいった。1943年4月、ナチスはゲットーを一掃するため戦車と飛行機で攻撃した。ユダヤ人は抗戦したが、脱出できたのは100人ほどにすぎなかった。
ダビデの星 1942年以降、ドイツ占領下のヨーロッパのユダヤ人は、簡単に見分けることができるように、服に黄色いダビデの星をぬいつけなければならなかった。収容所でも、このマークをつけさせられた。
絶滅収容所 ナチスはユダヤ人、共産主義者、政治犯、ジプシー(インド北西部発祥とされる移動生活を続ける民族)、同性愛者、その他「好ましくない」と考えられるものを収容するため、強制収容所を作った。囚人の多くは、近くの工場で働かされた。1942年、ポーランドのアウュヴィッツやトレブリンカをはじめ、8か所の絶滅収容所にガス室が設けられた。ユダヤ人の殺戮をスピードアップするためのものだった。アウシュヴィッツ強制収容所は、ホロコーストが永久に忘れられないようにするため、今も保存されている。
収容所の状態 収容所では食糧は乏しく、12時間交代で働かされた。士官には虐待を楽しむものも少なくなかった。また、アウシュヴィッツのヨゼフ・メンゲレ博士のように、生体や死体で恐るべき実験を行ったものもいた。
総計600万人のユダヤ人、そのうちアウシュヴィッツ収容所では100万人が殺害されたナチスの絶滅政策は、戦後ドイツの政治にも決定的な刻印を残すことになった。
ナチズムからの負の遺産を引き継いだ西ドイツ(ドイツ連邦共和国)では、 ①ナチ犯罪の被害者に対する補償 ②ナチ犯罪者に対する司法訴追 ③ナオナチの規制 ④現代史重視の歴史教育など、多方面にわたる過去の清算 に取り組み、この積極的な「過去の克服」を通じて、西欧のみならずポーランドをはじめ東欧諸国の信頼を得てきた。 戦後ドイツが支払った補償金の総額は、20世紀が終わるまでに1059憶マルク(約6兆円)にも達するといわれるように、大戦後から今日まで、戦後ドイツ政治の歩みのなかには常にナチズム、とれいわけホロコーストの記憶がある。
参考文献
ヨーロッパ史への扉 晃洋書房
第二次世界大戦 角川書店