ボロジノの戦い
出典: Jinkawiki
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ボロジノの戦い
1812年9月7日は1812年ロシア戦役(ナポレオン戦争)における戦闘の一つ。フランスではモスクワの戦いとも呼ばれる。 この戦いは合戦には勝利しておきながら戦争には負けた戦将の際立った例である。 ボロジノでは2万人のナポレオン軍が激戦の末に兵力が2倍以上の4万5000人だったロシア軍を破った。しかし痛手が大きかった為ナポレオンはモスクワに進軍する前に回復期間を置くことにした。この時ナポレオンはおそらく敵方のクトゥーゾフ将軍が激闘の翌日に一時撤退したことを知らなかったとされている。この休息がナポレオンにとって大きな痛手となる。帝政ロシア軍は兵力の半分を失っていたが近くの村落で態勢を立て直す時間ができ戦術を練った。ナポレオン軍が入場したモスクワは市民が脱出しもぬけの殻でそこに焦土戦術が追い打ちをかけた。士気を失ったナポレオン軍は退却を余儀なくされた。
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クトゥーゾフ将軍
ミハイル・イラリオーノビチ・ゴレニーシチェフ・クトゥーゾフ伯爵。帝政ロシア時代の軍人。エカチェリーナ2世、パーウィル1世、アレクサンドル1世の3代にわたってつかえ、外交官としても活躍した。
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帝政ロシア
旧ロシア帝国とも呼ばれる。帝政期のロシア。主にロマノフ朝の時代に使うことが多い。
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焦土戦術
退却に際して敵に利用されないようにあらゆる施設や資材などを焼却・破壊する戦術。
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<参考>
・AFPBBNews ・Keyward ・コトバンク
ユーザー名:mr.rrr