ポストモダン
出典: Jinkawiki
概要
現代という時代を、近代が終わった「後」の時代として特徴づけようとする言葉。各人がそれぞれの趣味を生き、人々に共通する大きな価値観が消失してしまった現代的状況を指す。現代フランスの哲学者リオタールが著書のなかで用いて、広く知られるようになった。リオタールによれば、近代においては「人間性と社会とは、理性と学問によって、真理と正義へ向かって進歩していく」「自由がますます広がり、人々は解放されていく」といった「歴史の大きな物語」が信じられていたが、情報が世界規模で流通し人々の価値観も多様化した現在、そのような一方向への歴史の進歩を信ずる者はいなくなった、とされる(『ポスト・モダンの条件』1979年)。また、ポストモダンという言葉は、ポスト構造主義の思想傾向を指す言葉としても用いられ、その際はポスト構造主義とほぼ同義である。唯一の真理をどこかに求めようとする思考を徹底的に批判しようとしたデリダ、近代は自由を求め拡大したのではなく、むしろ人々の内面と身体を管理する技術を発達させたと述べたフーコーなどは、共に、近代的な物語を解体しようとした思想家として見られるからである。
哲学・思想
フランスを中心に興った思想で、ドイツ圏のニーチェ、マルクス、フロイト、ハイデッガーらの思想を源泉とする。 直接的な契機としては、高度に自己完結的なものとして把握され、人間理解の基礎的な枠組みとして汎用的かつ実体的に前提される近代的な「主体」概念に対して構造主義によって提起された批判が背景にある。 潜在的な構造的規定要因によって主体そのものやその判断、およびその可能な選択肢が構成され、あるいは少なくとも制約されているのであって、近代的な個や主体を思想の前提として素朴に一次的で自立的なものとして実体視することはできない、ということが、構造主義の立場をとる研究者たちによって、主張された。 フランス思想の文脈では、それまで有力であったサルトルの実存主義の、自由を不条理にも絶対的に運命づけられた意志的な主体、という発想に対する批判という文脈において主として議論となった。 近代=モダンに特有の、あるいは少なくともそこにおいて顕著なものとなったものとして批判的に俎上に挙げられたものとしては、自立的な理性的主体という理念、整合的で網羅的な体系性、その等質的な還元主義的な要素、道具的理性による世界の抽象的な客体化、中心・周縁といった一面的な階層化など、合理的でヒエラルキー的な思考の態度に対する再考を中心としつつも、重点は論者によってさまざまであった。 このそれ自体はプロパーな科学の領域にあった構造主義を哲学や思想が継承した経緯をさして、アナロジー(類推)で一部借用したにすぎない、との批判がなされた。様々な主張があり一概に語ることは出来ない。 ポストモダニズムとは必ずしもイコールではないが、構造主義以後に構造主義を批判しつつ継承して出てきた思想傾向をポスト構造主義と呼ぶ。
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