ポツダム宣言3

出典: Jinkawiki

ポツダム宣言

1945年7月26日、連合国軍が日本に対して無条件降伏を促すポツダム宣言がだされる。 1945年7月17日から8月2日にかけてドイツのベルリン郊外のポツダム宮殿で米英ソの首脳が会談した。 米の代表はトルーマン。英はチャーチル。ソ連はスターリンであった。 その対日方針は米英中の共同宣言の形で、いわゆるポツダム宣言として7月26日に発せられた。 その内容は日本の無条件降伏。戦争犯罪人の処罰。日本の平和主義国家及び民主化であった。 時の首相である鈴木貫太郎はこれを1度は黙殺した。 この行為が米に原爆を投下する口実を与えたとみられている。 二度の原爆投下。ソ連の進行によって窮地に追いやられた日本は、1945年8月9日の御前会議において、 国体の護持は、皇室のご安泰は国民全部戦死しても守らなければならないとしながらも23時50分これを受諾することを決意。 ポツダム宣言受諾により日本の戦争は終結。 ポツダム宣言の草案には当初天皇制の維持を保障する条文が記されていた。 日本が天皇制を維持したいという意思はわかりきったことであり、これを明記すれば日本がこの宣言を受諾する可能性が高くなるからだ。 しかしこの条文は発表時には削除されている。 米国の首相トルーマンは日本に受諾させず、原爆を投下しその脅威を知るべく実験がしたかったからといった説がある。 ポツダム宣言には言論、宗教、思想の自由、基本的人権の尊重は確立されるべし。と記されており日本の民主主義化を意味することが記されていた。 日本はポツダム宣言のこの文面から日本国憲法にこれを保障し民主化の道を行くとことになったといえる。 参考文献 朝日新聞 陸軍軍務局長・保科善四郎手記 外務省編 「終戦史録」 最新日本史図表 第一学習社 2004年度


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