ポル・ポト政権3
出典: Jinkawiki
ポル・ポト
ポル・ポトはカンボジアの政治家。本名はサロト・サル。生地は中部コンポントム州プレクスバウ村。田9ヘクタール、畑3ヘクタールを所有していたというかなり裕福な農家に生まれた。6歳のころ親元を離れてプノンペンの兄たちのもとへ送られ、僧院生活を体験する。1949年から1952年までフランスに留学した。留学中にのちの、カンボジア共産党員らと共産主義文献の討論グループ会合などをさかんに開くようになり共産主義へと傾斜し、フランス共産党員となる。1954~1963年サロト・サルの名で革命運動に参加。1960年カンボジア共産党創設とともに中央委員、1963年書記長に就任。1975年のプノンペン解放とともに全権を掌握、1976年シアヌークにかわり新生の民主カンボジアの首相となる。「全面的、徹底的な社会革命」と「社会浄化」の名のもとに、大量粛清を含む残虐な内政と強硬な外交を推進。1978年末のベトナム侵攻で反撃され首都を放棄、ゲリラ戦に転じる。国際的批判の高まりに直面して1979年、首相を辞し国民軍最高軍事委員長に転出、1985年8月高等国防研究所長の閑職に退いた。1990年代に入り、カンボジアの和平が進行した結果、クメール・ルージュ(ポル・ポト派)内部の対立が激化し、1997年6月にポル・ポトは身柄を拘束され、7月に人民裁判にかけられ終身刑の判決を受けた。その後、民主カンボジア時代の大量虐殺の責任者として国際法廷にかけられる動きが具体化するなかで、1998年4月突然死去が発表された。
クメール・ルージュ
カンボジアの反政府勢力。「赤いクメール(カンボジア人)」の意で、シアヌークが国家元首時代に、国内の革命勢力を総称してこのようによんだことに由来する。通常はその中核組織であったカンボジア共産党勢力、とりわけその主流たるポル・ポト派を意味する。1976年4月、クメール・ルージュは当初名目的な国家元首であったシアヌークが辞任すると、キュー・サムファンを元首、ポル・ポトを首相とする民主カンボジアを樹立した。ポル・ポト独裁の同国内では、旧体制派、都市住民、知識人、反抗分子は一括して排除の対象とされ、市場、通貨、宗教、家族なども否定され、国民は党指導組織(アンカー)が統括する合作社(サハコー)での強制労働を強いられた。ポル・ポト政権は、カンボジア全土を「キリング・フィールド」(虐殺刑場)と化した文字どおりのジェノサイド(集団虐殺)政権であり、4年間に100万を超えるカンボジア人が生命を奪われたと伝えられる。
ポル・ポト政権
1975年4月17日、ロン・ノル政府軍が完全降伏し内戦が終わると都会住民をすべて退去させ農村に移住させるプノンペンの全市民の即時強制退去を始めた。民主カンボジアを樹立させると、1976年1月5日、わずか16章21条の民主カンボジア新憲法が公布された。その内容として、まず宗教が弾圧された。憲法第20条には「国民は誰も、いずれかの宗教を信仰する権利、いずれの宗教も信仰しない権利をもつ。民主カンボジアとカンボジア人民に有害な反動的宗教は厳重に禁止される」と明言されており、それまで、国民の95%までもが仏教徒という国だったのに対し、宗教を完全に排撃する姿勢が宣言された。次に、憲法の前文にあたる部分に「すべての者が力を合わせて、共に肉体労働にいそしみ、国家の建設と防衛のために生産を増強する」と書かれている。カンボジアでは肉体労働だけが求められ、頭脳労働は必要ないとされた。小学校教育は一部だけ、中学校教育は全く存在しなかったとされる。そして、憲法第3条は文化制度についての条項だが、民主カンボジアの文化は、民族的で清潔な文化であるとしたうえで「この新文化は、カンボジア国内の様々な抑圧階級ならびに植民地主義、帝国主義の腐敗した反動文化に断固反対する」とだけ述べていた。そして偏執狂的な旧文化・外国文化狩りが行われた。また、最終21条の外交政策の文言には「外部からの軍事的、政治的、文化的、経済的、社会的、人道的などのいずれにせよ、カンボジアへのあらゆる形式の破壊、侵略に対し、断固闘争する用意がある」とあり、国際援助を拒否した。憲法に書かれていない政策には、通貨があるから私利私欲が起こり、革命推進に遊戯になるとして通貨と市場が廃止したことや、家族ごとの食事は許されず、村落の共同食堂で集団で食事をとらなければならないこと、一部の地域では本人の意思と無関係の強制結婚が実行されたことなどがある。
参考文献
山田寛(2004)ポル・ポト〈革命〉史 講談社
"クメール・ルージュ", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-01-30)
"ポル・ポト", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-01-30)
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