ポーランド継承戦争

出典: Jinkawiki

目次

ポーランド継承戦争

ポーランド継承戦争(1733~1735)とは、ポーランド王位の継承をめぐって勃発した18世紀ヨーロッパの戦争である。

このポーランド継承戦争のあたりからポーランドは近隣列強の干渉を受けるようになり、のちのポーランド分割へとつながった。


原因

1733年にポーランド王アウグスト2世が崩御すると、ポーランド貴族出身のスタニスワフ・レシチニスキが王位を請求し、娘婿のフランス王ルイ15世に支持された。

しかし、アウグスト2世の息子であるザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世も王位を請求し、こちらは神聖ローマ皇帝カール6世やロシアのアンナ女帝に支持された。

ポーランド議会ではスタニスワフが多数の貴族の賛成を得て即位したが、一部の反対派はザクセン選帝侯をポーランド王アウグスト3世であると宣言したため、この王位を巡るポーランドの内戦は関係国を巻き込んで戦争に発展した。


結果

アウグスト3世がアウグスト3世のポーランド王位継承が列強により承認された。

レシチンスキ(と彼を支持したフランス)はアウグスト3世を支持したハプスブルク家からロレーヌ公領を得ることで満足した。

この際レシチンスキは終生ポーランド王を名乗る権利を認められており、ポーランドは一時名目的に2人を王をもつこととなった。


参考

wikipedia:ポーランド継承戦争

ポーランド小史


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