ミシガン大学の裁判
出典: Jinkawiki
アファーマティブ・アクション
差別や不利益を被ってきたマイノリティーの、職業、教育上の差別措置。具体的には、入学者数、雇用者数に受け入れ枠や目標値を定めて、白人男性が歴史的に圧倒的多数派を形成してきた領域での、黒人、ヒスパニック、女性などの就学、雇用の機会を保障しようとする。だが、リバース・ディクリミネーション(逆差別)につながるとする人たちの反発、巻き返し(ホワイト・バックラッシュ)は、人種差別割当制度の是非、公民権法案の修正などをめぐる差別・逆差別論議を呼び、共和党は機械的な差別解消法策はかえって「機会均等」を妨げるとして撤廃を主張。とりわけ黒人に対する優遇措置に逆差別感情を抱く者の割合が年を追って増え、非白人層にまで及んでいる現実を踏まえて、クリントン政権は1995年7月、制度継続と部分的改善の必要性を主張。経済的困窮度の高い人を優先するなど制度の公正な適用を求めると共に、機械的な割当制の撤廃を提唱した。ブッシュ大統領は、ミシガン大学が割当制に基づき、少人数者優遇措置で黒人学生などを優先入学させることを、不公平な仕組みで憲法違反だと批判。2003年1月、連邦最高裁判所に意見書を提出した。同最高裁判所は同年6月、適用や運用の範囲を限定しつつ、措置そのものは合憲と決定を下した。
ミシガン大学の裁判
連邦最高裁判所が判決をだしたミシガン大学の裁判は、法科大学院と学部の二つのアファーマティブ・アクションをめぐって起こされたものだ。 法科大学院の裁判で、連邦地裁は、2001年3月、原告のバーバラ・グラッターさんの訴えを認め、大学院のアファーマティブ・アクションが公民権法と憲法に違反する、という判断を示した。これに対して、大学側は、ただちに控訴。2002年5月にだされた第六巡回控訴裁判所の判決では、一転して合憲とされた。 2002年12月にだされた連邦地裁の判決は、大学の措置を違憲と判断。このため、原告のジェニファー・グラッツさんとパトリック・ハマチャーさんは、第六巡回控訴裁判所に控訴した。なお、地裁判決では、原告が入試を受けた1998年度の措置を違憲としたものの、1999年度と2000年度のアファーマティブ・アクションは、合憲としていた。 このように法科大学と学部という違いはあるものの、一つの大学のアファーマティブ・アクションに関して、裁判所が次々と異なった判決を出したこともあり、連邦最高裁は、最高裁として判断することを決定。1978年のバッキー裁判以来、四半世紀ぶりの教育におけるアファーマティブ・アクションをめぐる最高裁判決が出されることになり、全米の関心が集まった。 法科大学院の裁判に関して、連邦最高裁は、9人の判事の中で意見が真っ二つに割れた。多数派となった5人の判事は、大学院のアファーマティブ・アクションを合憲とした。バッキー裁判と同様、学生の選考にあたりマイノリティであることを「プラス」とすることが認められることと、大学院の人種的多様性を確保するために限定的に用いられているという判断がされたためだ。 一方、学部の裁判では、6人の判事が違憲とみなした。合憲と判断したのは、3人にすぎなかった。法科大学院と異なる判決になった最大の理由は、学部のポイント・システムだ。ミシガン大学の学部は、志願者の高校時代の成績や標準試験の結果、小論文など様々な要素に、それぞれ最大のポイントを定めていた。合格するには、各要素の合計150ポイントのうち、100ポイント以上が必要になる。 法科大学院でも同様の要素が判断材料にされている。しかし、これらの要素をポイント化せず、総合的に判断していた。しかも、学部では、マイノリティの場合、自動的に20ポイントが加算される。このポイントは、統一試験と小論文で最も問いポイント合計したものよりも多いのだ。学部では、志願者が膨大な人数にため、総合的な判断が困難で、ポイント化したと主張していた。
参考
http://www.co-existing.com/essay/kh5.html (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2007」