ミュンヘン五輪
出典: Jinkawiki
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ミュンヘン五輪
1972年8月26日~9月11日に当時の西ドイツのミュンヘンで行われた。 第20回夏季大会。
公式マスコットが採用された最初の大会でダックスフントの「バルティー」がキャラクターだった。
また、メキシコシティー大会で行われなかった柔道はこの大会で復活した。
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日本選手の成績
日本は19競技に参加し、水泳2、体操5、レスリング2、柔道3、バレーボール1合計13個の金メダルを勝ち取った。また、銀メダル、銅メダルともに8個も獲得した。
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ミュンヘン五輪事件
オリンピックが開幕して11日目の9月5日に起きた事件。
パレスチナの過激派組織「黒い九月(ブラックセプテンバー)」の武装メンバーがイスラエル選手団の居住フロアに侵入し、抵抗してきた選手とコーチ2名を殺害し、残りの選手9人を人質にとった。
目的はイスラエルに収監されているパレスチナ人を解放することであった。
解決は西ドイツ警察に委ねられたが、銃撃戦の末、テロリストに残る9人も殺害されてしまった。
また、警察数人と犯人8名のうち5名は死亡し、残る3名は逮捕された。
イスラエルでは、オリンピック中止を求めるデモが起こったが、オリンピックは続行された。
まさに、オリンピックとテロが同時に行われた大会であった。
だが、この事件でテロ対策における様々な教訓が残されたともいえる。
参考URL
http://www.joc.or.jp/publicity/olympian/2007/vol02/index.html
http://www.newsdigest.de/newsde/column/jidai/2352-muenchner-olympia-attentat.html
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