ムハンマド・ダーウド
出典: Jinkawiki
ムハンマド・ダーウドは、アフガニスタンの政治家、大統領。
首相在任時、ダーウドは、国軍の近代化を重要な任務と考え、ソ連に援助を要請した。1956年から、ソ連の軍事援助がアフガニスタンに提供され、アフガン軍にはソ連の軍事顧問団が駐在し、アフガン軍将校はソヴィエトに留学した。 ダーウドは、軍事分野の他、経済及び社会・教育システムにおいても改革に着手した。改革に反発したウラマー会議は、反政府キャンペーンを組織した。回答として、ウラマーに対する大規模な弾圧が行われ、以後、旧世代のムッラーは社会に対する影響力を失い、学生達はより急進的なイスラーム主義を志向するようになった。
1963年に1953年から首相を務めてきたムハンマド・ダーウドを更迭し、ザーヒル国王が独裁政権樹立した。 アフガニスタン問題のことの発端は、1973年7月、ムハンマド・ダーウドが、従兄弟のザーヒル国王を追放して政権をにぎり、アフガニスタンを共和国と宣言したことです(77年初め、新憲法公布&ダーウドは大統領に就任)。その後イスラム主義者への弾圧が強まった。弾圧は彼の改革を支持していた者たちにもおよび追放された。
1978年4月27日、アフガニスタン人民民主党支持者の将校軍事クーデターを起こし、翌28日、彼は革命派将校により殺害された。
参考元
http://www.uraken.net/rekishi/reki-ro13a.html