メイフラワー誓約

出典: Jinkawiki

メイフラワー誓約とはメイフラワー号の中で信仰の自由を求めた人々が行った誓約である。

メイフラワー号

メイフラワー号についてである。同乗者は分離派のピューリタン37人と移住者を合わせた全員で102人乗っていた。オランダに逃れていた分離派がピルグリムと呼ばれていたことからメイフラワー号に乗船していた人々はピルグリムファザーズと呼ばれることになった。目的としてはイギリス国教会の弾圧を受けた清教徒たちがアメリカに自由な共同体を作ることである。

メイフラワー誓約

メイフラワー号で北アメリカのプリマス植民地で作成されたメイフラワー誓約の文書はケープコッドに近い現在のプロビンスタウン港で乗員の102人のうち41人がそれに署名をした。そしてメイフラワー誓約の内容というのが 「神の名において、アーメン。我々下記に名を記す者は、神の恵みによってグレート・ブリテン、フランス、アイルランドの王、かつまた信仰の擁護者なる、畏れ多き君主、ジェームズ王の忠実なる家臣であり、神の栄光のため、またキリスト教信仰の発展と、わが王ならびにわが国の名誉のため、ヴァジニア北部に最初の植民地を築こうと航海に乗りだしたが、ここに、神の御前において、この書類によって厳粛にお互いどうし相互に契約を交わし、自分たちのよき秩序と先に述べた目標を堅持し促進するために、みずからを政治的な市民団体に結合することにした。そして、それにより、時に応じて植民地の公の利益のためにもっともふさわしく便利だとおもわれる正しく公平な法、命令、規則、憲法や役職を作り、それらにたいしてわれわれは当然の服従と従順を約束する。このことの証しのために、アイルランドを納めること18年目、スコットランド54年目の、グレート・ブリテン、フランスの種なるジェームズ王の治世の11月11日に、ケープゴットにてわれわれの名を以下に記す。1620年。」 となっている。 自由自主なる個人が、契約によって、団体を創設するという社会契約の説を、現実に表した顕著な実例であり、また政治上の権力の根拠は個人の同意にあるという思想の発達に関する重要な実例であるともされている。

参考・引用文献

世界史の窓 http://www.y-history.net/appendix/wh1102-003.html 

PRIDE OF JAPAN  http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-6240.html?sp

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