メルティング・ポット

出典: Jinkawiki

メルティング・ポットとは

メルティング・ポット(人種のるつぼ)は、人種や文化の異なる人々が、るつぼ(ポット)の中でぐつぐつ煮て溶けて(メルティング)交じり合っている社会のことを言う。  メルティング・ポット社会では、人々はそれぞれの独自の文化や言語を尊重し維持するよりは、むしろ独自性を捨てて、多数派に溶け混じることが求められました。多数派、すなわちアングロサクソン、男性、健常者、ヘテロセクシュアル(異性愛)の価値観に同化することが求められたのである。  ポットの中にはスープがある。この中にはたくさんのポテト、少しの肉、一本のニンジン、一個のトマトが入っているとする。ぐつぐつと煮込まれ、それぞれの食材は溶け合っている。ニンジンやトマトはもう元の原型をとどめていない。味もニンジンやトマトの味はよくわからない。なんといっても一番量の多いポテトの味が支配的。  このように、メルティング・ポット社会では、人種的少数派は多数派に同化することで初めてアメリカ人として認識してもらえたのである。アフリカ系もアジア系もイタリア系も皆自分の子どもにはアングロサクソン系の典型的な名前をつけることで、子どもたちがアメリカ社会でサバイブし成功することを願っていた。先住民はその独自の言語、信仰、生活様式を捨てて白人を模倣することで初めて生存を許された。



メルティング・ポットからサラダ・ボウルへ

1950年代に始まった公民権運動に代表されるアメリカの社会変革の大きな運動は、60年代、70年代に、メルティング・ポット社会が実は白人社会への同化を要求してきたことを指摘し、新しい価値観を反映した社会の理念を追求してきた。そのプロセスから生まれたのが、多文化主義(cultural pluralism)であり、多様性・多文化共生(diversity)であった。いずれの用語もそれが頻繁に使われる分野にいくつかの違いがあるが、意味するところはほぼ同じである。 そこではひとつの文化と他の文化が優劣で比較され、支配従属関係を持つことはない。それぞれの文化、伝統、価値観、言語、さらには一人ひとりの個性の違いが、可能な限り尊重される社会を指している。このような社会のことを、メルティング・ポットが食器に関する比喩なので同じように比喩を使って、サラダ・ボウル社会といわれるようになった。  サラダの器(ボウル)の中には、レタスあり、キュウリあり、トマト、ニンジン、アボカド等々が、溶けることなく混在している。その一つ一つにそれぞれの色があり味わいがある。メルティング・ポットの中のスープのように、ニンジンもトマトもポテトもいっしょくたに煮込まれて溶けて一つの味を作り出すのではない。  メルティング・ポットからサラダ・ボウルへ。それがアメリカにおける多様性社会へ向かう努力の軌跡だということができる。


参考http://www.jinken-net.com/hiroba/hiroba0811.html


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