モヘンジョダロ
出典: Jinkawiki
概要
モヘンジョダロは、歴史に名高いインダス文明の最大の都市遺跡である。紀元前2500から2300年頃に繁栄した古代都市遺跡、モヘンジョダロは1921年、発掘者によって「死の丘」と不気味な名前をつけられ、従来の考古学的常識では説明のつかない多くの謎が残されている。路上や井戸端、さまざまなところに、うつ伏せあるいは仰向けになった状態で横たわっている人骨が遺跡のあちこちに見られる。モヘンジョダロは、紀元前2400年にまで遡るが、水の利用技術に関しては古代ローマに優るとも劣らないとされていた。モヘンジョダロの最大の特徴は、ある日突然、完全体として出てきたこと、試行錯誤が見あたらず、町全体がモノシリック(一枚岩)であることだ。また、建材には規格化された品質の高い焼き煉瓦(レンガ)が使われている。普通は少しずつ人が集まり、数に見合って住居や通路が築かれ、それが町となり、やがて世界となっていく。このことから考えても世界に類を見ない、不可解な町であることがわかる。モヘンジョダロは、大きく2つの地区に分かれている。平地の市街地、そして小高い丘にある城塞地区である。市街地は、碁盤の目状の道路で区分けされ、整然と配置されていて、居住世界すべてが、あらかじめ区画整理されていたのだ。そして4000年前の町にもかかわらず、ほとんどの家に浴室が備えられていたのである。そして、複雑な排水システムを介して、一軒一軒の家にリンクされているほど、水資源の利用技術はすばらしかった。家の2階までが排水機能を備え、更に、下水システムまで完備しているのである。現代でも、下水設備のない居住区は世界中たくさん存在するのに、このような都市システムは世界的に見ても稀である。
沐浴場として
小高い丘の城塞地区に公共の施設が集中していて、その隣には、謎の大沐浴場が横たわっている。「沐浴」とは、身を清める意味があり、ローマのように大浴場と呼ばないのはそのためである。この沐浴場は、縦と横が12m×7mで、深さが2.5mもある。貯水量が160トンにもなるため、その水圧に耐えるよう3層の耐水構造となっているし、それぞれの層は焼き煉瓦(レンガ)が使われ、各層の間には、瀝青(れきせい、天然のアスファルトで、防水目的に使用される)が塗られている。深さ2.5mという沐浴場は、人の暮らしや居住区のサイズを考えても、謎がある。そのため、何らかの宗教的儀式に使われたのではないかとされたいるが、モヘンジョダロに神殿らしきものは見つかっていない。神殿のない文明というのも世界的に珍しいし、社会組織すら分かっていないのである。偉大な4大文明の1つに数えられながら、他の文明と決定的に違う点はここにある。
大きな疑問点
モヘンジョダロの商人たちは、交易に印章を用いたが、それがメソポタミアやペルシャ湾沿岸の諸都市でも見つかっている。印章には動物が描かれ、描かれた動物の中で最も多いのはコブウシだが、コブウシはヒンズー教では最も神聖なものとされている。これは、この地に侵入したアーリア人が、インダス文明の宗教をベースにヒンズー教に発展させたのかもしれないと言われている。だが、アーリア人が侵入する前、BC1700年には、すでにモヘンジョダロは廃墟となっていた、というのが通説である。モヘンジョダロの遺跡から、たびかさなる洪水で、町が壊滅的な打撃を受けたと言われている。水びたしとなり、排水設備は破壊され、水資源は汚染され、モヘンジョダロの担い手たちは、その後、町を捨て、どこかへ去ったとされているのである。そうすれば、これほどの文明を築いた民はどこへ移住したのかという問題が起こる。どこかへ移住すれば、同じような世界を築いたに違いないが、世界中を見ても、まだ発見されていない場合もあるが、第二のモヘンジョダロ(インダス文明)は見つかっていない。