モンキー裁判
出典: Jinkawiki
アメリカの創造論運動の歴史において起こった大きな裁判の一つ、スコープス裁判の別称。1920年代南部の反進化論州法の成立で始まった「創造VS進化」論争で大きな話題を呼んだ。 1925年、テネシー州デイトンの高校教師ジョン・T・スコープスは、授業中にヒトの進化に触れたために、この裁判で有罪判決を受けた。
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「創造論」と「進化論」
人類の進化は大きく二つの考え方が存在している。一つが創造論である。 『初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」』 旧約聖書の「創世記」第一章の出だしであるこの一節は、神による天地創造を説き、6日間で昼と夜、空と海、地面と植物、太陽と月とその他の星、鳥と魚、陸生動物と人間が作られ、天地万物が完成したとしている。アメリカのキリスト教創造論者たちはこの聖書の記述を文字通り地球の歴史として信じてきた。そして1920年代から各地で進化論者を相手に論争を引き起こし、生物進化論を学校教育から追い出そうとしてきた。そして、創造論を学校教育に持ち込もうとしてきたのである。この動きに対し、学会と司法が猛烈に反対してきた。彼らはダーウィンが提唱している進化論を支持していた。進化論では、生物が不変のものではなく長期間かけて次第に変化してきたという考えに基づいて、現在見られる様々な生物は全てその過程のなかで生まれてきたことを説明している。ダーウィン以来生物進化を事実として受けいれ、生物進化論を科学として認めてきた科学界は、言うまでもなく、聖書の創造説をフィクションとみなし、それを科学的に証明しようとする「創造科学」を徹底的に非難した。アメリカにおいて、創造論と進化論はまさに相反する考え方である。モンキー裁判では、テネシー州において高校教師のジョン・T・スコープスが進化論を授業で触れたことにより、裁判沙汰になっている。
モンキー裁判(詳細)
1925年7月、創造論と進化論の両者の対立が表面化する事件がアメリカ南部の田舎町テネシー州東部のカンバーランド・バレーにある人口1800人の小さな町デイトンで起きた。テネシー州では1925年3月に「バトラー法」が成立していた。反進化論州法の一つであるバトラー法は、同州の公立学校においてヒトについて聖書の創造説を否定する理論の教育をいっさい禁止していた。しかし、同州法に挑戦する者がすぐに現れた。デイトンの公立高校の「生物学の教員」、ジョン・トーマス・スコープスである。彼は生物学の授業でヒトの進化に触れ、州法違反で逮捕され裁判にかけられた。
被告スコープスを支えたのは常々「バトラー法」の違憲性を立証する機会をうかがっていたアメリカ公民権連合(ACLU)だった。アメリカ公民権連合は第一次大戦中、平和主義者の法的権利を守るために1917年に設立されたが、その基本的な公民権を否定された人たちを養護することを目的とした弁護士集団に変身した組織である。このアメリカ公民権連合は反進化論州法が言論の自由の権利の侵害にあたると考えていた。アメリカ公民権連合の依頼で、人権派の弁護士として有名なクレアレンス・ダロウがスコープスの主任弁護を引き受けた。そのほかにも、彼の弁護団には様々な有能な人材が集まり、当時としては最高の布陣であった。200人を超えるジャーナリストがデイトンの裁判所に集まり、公判の模様は新聞や雑誌に戯画入りで詳細に報道されただけでなく、電信でヨーロッパやオーストラリアにも伝えられた。また、アメリカの裁判としては初めてラジオで全国放送もされた。しかし、裁判ではジョン・T・ラウスルトン判事が100ドルの罰金刑という有罪判決をスコープスに申し渡した。
モンキー裁判の影響
判決後、モンキー裁判は、科学教育に情熱を燃やす生物学の教員が科学に疎い保守的な二とたちの作った法律(=反進化論州法)の愚かさを暴くために自ら進んで被告となり、それに共鳴した自由を重んじる知識人が彼らを助けるために闘うという、まさに美談としてのイメージが定着した。このような解釈は、後世の小説や演劇、映画などによって影響されている。
モンキー裁判の裏側
裁判後、ジョン・T・スコープスは「創造VS進化」論争において進化論側の英雄となったが、彼がほんとうにヒーローの名に値する人物であったとは信じがたい。そもそも、スコープスは正式な「生物学の教員」ではなかった。彼はケンタッキー大学の法学部を卒業しているが、自然科学のトレーニングを受けたことはない。1924年の秋学期からレイ・セントラル高校にフットボール部のコーチとして赴任し、学年度末に2週間数学および科学の代用教員をつとめただけだった。そのときたまたま生物学の教員の病欠を埋めるために、生物の補講を担当したが、彼自身はヒトの進化を教えたかどうかははっきりしないと、回想録で述べている。 また、スコープスは正義感にかられてみずから被告となったわけではない。当時「バトラー法」に挑戦するため、アメリカ公民権連合は敢えてこの州法に違反する教員の募集広告をテネシー州の地方紙に出していた。これに目を付けた地元で石炭会社を経営するジョージ・W・ラップルイエイが町の指導者たちと相談し、学校区の教育委員長がスコープスを呼び出し、その役を引き受けさせたのである。裁判中の展開を見る限りでは、すでにあらかじめアメリカ公民権連合との打ち合わせで有能な弁護士の用意や裁判後の生活保障まで話題にのぼっていたと思われる。裁判の後、スコープスはシカゴ大学大学院で地質学を勉強し、地質測量技師として身を立てている。
アメリカ教育の現在
1987年、連邦最高裁は「宗教と国家の分離原則(または国教樹立の禁止)」(合衆国憲法修正条項第1条)にもとづき、公立学校の創造論教育に違憲判決を下した。それ以来少なくとも法律的には、公立学校で科学の時間に創造論を教えることはできなくなっている。 ところが現在でも、学会の非難や司法の禁止を無視し、公立学校における創造論教育を執拗に要求し続けている人たちがいる。彼らはあの手この手で進化論教育を阻止し、カリキュラムや教科書の変更により公立の中学、高校、大学に創造論を導入する機会をうかがっている。つまり聖書の創造説を個人の内面的な信仰にとどめることなく、学校教育という実社会で実現しようとしているのである。そのため、今でも創造論導入の危機に瀕する公立学校が少なくない。科学教育の場で生物進化論を守ろうとする人たちは日々窮地に立たされている。こうした創造論者の努力を侮ることは全くできない。統計を見る限り、アメリカの子どもたちに創造論が広く浸透していることが分かる。1993年6月のギャラップ調査では、聖書の言葉を一字一句信じている子どもの割合は、13~15歳で45%、16歳になっても31%にのぼり、創造論がアメリカの子どもたちに広く浸透していることがわかる。 「アメリカ=科学立国」のイメージが強すぎる私たちには信じがたい数字かもしれないが、これが現状である。
参考文献
『教育法学の現代的課題』 法政学現代法研究所 編 日本評論社(1984年)
『進化論を拒む人々―現代カリフォルニアの創造論運動―』 鵜浦 裕 著 勁草書房(1998年)
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