ユダヤ人4
出典: Jinkawiki
1.ユダヤ人という人種
ユダヤ人は現在世界中に存在している。彼らは、一つの場所に集まってマジョリティーを形成するのではなく、現住する各国々でマイノリティーを形成している。世界中に点々としているユダヤ人を、一様に「ユダヤ人」と呼ぶことができるのは宗教によって結ばれているからではない。彼らにとっての宗教とは、アイデンティティを形成するうえで二次的なものなのである。彼らを結び付けるうえで重要なことは、「生まれ」である。ユダヤ人の家系に生まれれば、自分はユダヤ人であるという意識が芽生える。彼らにとっての家系とは重要な役割を担うものなのである。
2.歴史的背景から見るユダヤ人
彼らはあらゆる国に存在しているため、現地民または移民にもなりうる。これには歴史的背景が関与している。中世のヨーロッパでは、ユダヤ人のコミュニティが様々なネットワークに関与していた。しかし、彼らは外の世界との接触を持たなかった。そのため、コミュニティの中には様々な裁可を任されていたリーダーが存在し、彼らは最終手段として、権威に従わなかった者を追い出すこともできた。コミュニティ内での宗教に対する見解の違いはほとんどなかったため、各国や各町ではコミュニティが一つずつ存在した。しかしこの後、植民地にされていたスペインから解放されたことをきっかけに、形成されるコミュニティの起源がそれぞれ異なるようになってきた。つまり、ユダヤ人のコミュニティ同士の宗教的違いではなく、コミュニティのメンバーに入るかどうかは家柄によって決まるなどの社会的違いであった。新たな価値観が生まれ、相違が見え始めてきたため、おのずと古いシステムは打撃を受けるようになった。これと同時に新たな価値観が生まれてきた。
3.ユダヤ人の目指すべきこと
宗教を信仰している限り、目指すべきものがある。ユダヤの人々は何を目指すべきなのか。
従順
健康や繁栄に報われるのが、命令への従順というものである。しかし、従順にも様々な懸念がある。例として、報酬と罰というものがある。従順であれば、何事も自由が保障されているという訳ではないのだ。この自由とは、寿命や不安などからの自由のことである。これは、ただ経験によるものでなく、聖書までもが認めている問題点なのである。だからこそ、この問題に対してユダヤ教徒は、人間の理解の域を超えているものだとしてとらえている。このような懸念があるにもかかわらず、今でもユダヤ教徒たちは伝統的な神への従順という考えを受け入れている。
信仰
ユダヤ教徒にとって信仰をもつことは、基本的な目標である。信仰とは、神を信じる、信頼するということであるが、信頼は完全に盲目でないといけないというわけではない。理性などは保ったうえで信頼しなくてはならない。しかし、神への信頼の態度は完全な信用であることを表しており、これは子供が両親へ持つゆるぎない気持ちと同じである。
愛
神への愛は、神への恐れなしにはあり得ないということを、ユダヤ人の思想家は述べている。神を愛するということは、使命なのである。愛を命ずるとはどういうことなのか。これには二つの見解がある。一つはラビの見解だ。彼は、人間は神への感情的愛や憧れを持つことができることを認めながらも、これは神の命令への従順を意図したものであると解釈している。もう一つは、中世の著述家たちの見解である。彼らが強調していたのは、感情的な面である。その中の1人は、神への愛が宗教的人間の最終目標ではあるが、現世のものへの愛を捨てれば、信仰者の心が神への愛で満たされるものであるとしている。この愛は、利害を超えていて、無私であり、それ以外のすべてのことを排除するまでに、神に対する真実の愛で完全に満ちているのである。 ユダヤ人のこれから ユダヤ人はこれまで様々な事件に遭い、そのたびに何か大きな変化を迎えている。ユダヤ人の未来はどのようなものなのか。いろいろな観点から見ていこう。
4.外界との接触
まず、ユダヤ人に影響を与えるものとして外からの圧力がある。外からの圧力といっても、犯ユダヤ教主義者たちからのものである。何百年も前に、ユダヤ教はこの相反する関係により大きな変化を迎えた。変化を迎えるにあたり、二通りの方法があった。一つは、反ユダヤ主義者が作り出した「ユダヤ人問題」を終わらせることで変化を起こした。ユダヤ人を追い出したり、皆殺しにする方法をとるよりも、ユダヤ人を広く社会に広めることで解決へ向かう方が、より効果的であったから、この解決方法を彼らは選んだ。もう一つは、反ユダヤ主義というものを、論理的結論にまでおしすすめ、ユダヤを受け入れられないものとした。そのせいで、結果的に反ユダヤ主義は度を越してしまい、世間からは、「反ユダヤ主義」という言葉自体が、暴力的言葉であるとまでみなされた。このように、反ユダヤ主義の圧力と、ユダヤ人を世間に広く同化させようという運動によって、ユダヤ人はあらゆるところであらゆる環境に順応していくことができた。彼らにとって、このような変化に順応していくことは容易ではない。現在ユダヤが抱える外界との問題点としては、キリスト教徒の問題がある。ユダヤ人たちは、だんだんかつてのような許容をしなくなってきたため、より強引さが増している。今後、この対立の流れは継続し、強力になると考えられる。 人口統計学から考えるとユダヤ人の人口は減少を続けている。これは、ナチスの大量虐殺のときからずっとである。そのうえ、ユダヤ人の寿命が延びているため、高齢化が進むとともに、出生率の低下が見えにくくなっている。ユダヤの中心ともいえるイスラエルを除く、他の場所での小さなコミュニティーは、消滅の傾向へと向かっている。こんな中で、家族の関係上子供をユダヤ人とみなすかみなさないかが、大きな問題になっている。現在この問題の対処として、二重方式が生じている。それにより生まれてきた子供を、ユダヤ人としてみなすかみなさないかで混乱と衝突が起きている。アメリカのユダヤ人への取り決めとしては、子供がユダヤ人の母親を持たなくても、その子がユダヤ人として育てられ、自分自身もユダヤ人としての自覚があるのなら、その子供をユダヤ人とみなすというものだ。これには支持の声もあるが、今までとは全く違う考え方であるがゆえに、違う立場のユダヤ人との食い違いは生じてしまうものだ。この考えは、人口減少問題を抱えるユダヤ人にとって、人口増加へと逆転させる考えである。その一方で、世界規模的に考えると、全ユダヤ人人口に影響を与えることは難しい。二重方式の二つ目の方式は、宣教である。ユダヤ教は元からあまり布教活動を行わない人たちであった。というのも、かつてキリスト教に支配されていたころに、キリスト教徒をユダヤ教へと改宗させることが違法であったのだ。また、これはイスラム教徒に対しても同じであり、イスラム教徒を改宗させることは違法であった。これまでの歴史上改宗させる、つまり宣教活動をすることは困難なことではあったが、いまユダヤが抱えるユダヤ教徒の減少を考えると、宣教という方法を利用していくことが有効であるのは間違いないだろう。これら二つの解決法は有効であるように見えるが、ユダヤ人自身が今までとの違いを認めない限り、実行していくのは困難であり、問題点を悪化させる可能性もある。
参考文献:「ユダヤ教入門」著者:ニコラス・デ・ラーンジュ 訳者:柄谷 凛