ユダヤ教5
出典: Jinkawiki
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ユダヤ教について
ユダヤ教とは唯一神のヤハウエがユダヤ民族を選んで契約を結び、預言者モーセに教えを啓示したという信仰に基づいて、その教えを生活の中で実践するユダヤ民族の宗教。ユダヤ教の歴史は、紀元前2千年記カナン (パレスチナ)に移住した民族の祖アブラハムにさかのぼるが、厳密には「ユダヤ教」として認識され始めたのは、キリスト教の登場以降であると考えられている。聖典は「律法・預言書・諸書」の3部からなり、キリスト教で「旧約聖書」と呼ばれている。また、「ミシュナ」とその注釈書「マラ」を加えた「タルムード」も重要な信仰のよりどころになっている。さらに、食物についての詳細な規定や安息日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)は一切の仕事を禁じるなど厳しい戒律がある。ユダヤ教徒たちは古代に王国が滅亡して以来、1948年のイスラエル建国まで国を持たない民族として世界各地に離散した。そして、その生活習慣やイエス・キリストの処刑に加担したとの考えから、様々な迫害を受けてきた。しかし、1993年、カトリックの総本山バチカン市国とイスラエルとの間に国交が樹立され、2000年3月には、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が過去のカトリック教会が犯した過ちを認め、ユダヤ人迫害を容認したことについてざんげした。1990年代後半から、戦後50年を迎えたことや、ホロコースト(ナチスによるユダヤ人虐殺)をテーマにしたドキュメンタリー映画「ショアー」の公開、「ホロコーストはなかった」と主張する歴史修正主義の登場などを契機に、ユダヤ人の民族意識の高揚がみられる。
イスラエルとは何か
ユダヤ教は、太陰暦の月を祝う。どの新月も、祭日となる。イスラエルの月は、月の満ち欠けによって示される。太陰暦のひと月の最初の日を示す新月から、その同じ月の十五日目を示す満月へ、そしてその月は終わりに向かい、そのサイクルが繰り返される。しかし、一年がそれに分割される太陰暦の月のほかに、この地上の季節を司る太陽暦によってもそれは表される。太陽の運行に基づいた春分は、三月から四月の冬の雨季の終わり、梅雨の季節の到来、最初の大麦の刈り入れとイスラエルの地に命の水を補給する冬の雨季の始まりを示すので、イスラエルの地の生態環境における重大な変化を意味する。太陽暦における二つの特別な時は、春と秋の春分と秋分、即ち三月二十一日と九月二十一日である。またそれは、太陰暦と太陽暦の連携、そしてイスラエルの主要な物語における特別な出来事がいかにして天体の重要な転向点に対応するかを、私たちに提示する。春分後の最初の満月、太陰暦二、三の月十五日目と、秋分の後の最初の満月、太陰暦の十五日目に、イスラエルはエジプトでの奴隷状態におけるその起源及びそれに続くシナイでのその定義。
ユダヤ教における神学
神学と法(アガターとハラハー)は物語を維持する体系を示す。それらはユダヤ教の物語を、イスラエルの文化、社会秩序にとって合理的で説得力のある体系に変える。その諸部分の一貫性を示す全体の包括的構成は、神学と法の二つの補完的体系において十分に表現されることになる。その一つは態度に関する規定を体系し、もう一つは行為の規範を通して述べる。それぞれの手段において、イスラエルの物語の語りを活気付ける支配的論理が表現される。それらが、事実を洞察力に、洞察力を神の真理へと変えるからである。これらの体系は、首尾一貫した構成において、イスラエルの物語の様々な章の神学的命題と法的帰結を包含する。聖書によって与えられた事実と、彼ら独自の自然、歴史、社会に関する観察を用いて、ラビ的賢者たちは、トーラー自体の書かれた部分に埋め込まれた世界についてのある説明をまとめあげた。それは、理性、つり合い、均衡、公平、そして信頼度に関するある世界秩序の理想を実現した。
ユダヤ教の法
ユダヤ教のハラハーもしくは法は、聖書の物語が生じさせる暗黙の教訓を明確に述べ、それらの教訓を公的な政策と運営の問題として組み立てることにより、トーラー(教え)の主たる物語をイスラエルの社会秩序のための設計に翻訳する。その詳細を通して、ハラハーのヴィジョンは輝く。いかに神の支配が、聖なる共同体を形成する忠実なイスラエル人の日常の行為と行動形態において具体化されるかが、ここにある。彼らは、トーラーによって語られる法に信仰を現実化する行為の形態を見出す。そしてこれらは常に、神の支配を認識するために意図されている。なぜ豚を食べず、なぜ自分自身のように隣人を愛するのかと問われたら、敬虔なイスラエル人は「私は豚を食べたい、私は安息日を守りたくもなければ隣人を自分自身のように愛したくもない。しかし私の天の父がこれらのことを命じた。私に何ができよう?」と答える。ハラハーによって求められた作為と不作為の行為を実行する正しい動機は、神の意志を今ここで行うことである。
アガターとハラハーにおける女性
ユダヤ教の女性の描写と扱いに関して私の記述を導くのは、そのもともとのカテゴリー、アガターつまり神学ハラハーつまり法である。それぞれが独自に発言をするが、それらは総合して唯一の判断を定める。女性に関しては、二十世紀の最後の四半期までは全員が男性であったラビたちは、本質的に家長制度を説く。しかしそれは私たちが見るように、彼らが女性的だと思う徳の導入を自分たちに勧めるが故に、一風変わった家長制度である。法に関しては、彼らは女性に偏りのない公平な位置を与える。彼らはイスラエルを神の花嫁と見なし、花嫁の世俗的な対応物、即ち自分たちの妻、娘たちのために、イスラエルとしての彼女たちが尊厳と敬虔の生活のために要求する保護を保証することを意図する。
正統派ユダヤ教
多くの人々が妥当にもあらゆる「伝統的」もしくは「遵守的」ユダヤ教を正統派と同一視し、さらにシナイで受け取ったものとしてのトーラーを守るあらゆるユダヤ教をほとんど同じものだと思い込んでいる。しかし、ユダヤ教の様々な派がみな口伝及び成文トーラーを確信し、互いに多くの重要な点で見解を異にする彼らの教師たちによって解釈されたその法を守っている。私たちはそのようなユダヤ教のシステムをすべて、口伝及び成文トーラーの起源と権威に関する基本的教義、即ち、それらはシナイでモーセに語られた神の言葉を逐語的に記録しているという点において一致するユダヤ教のシステムという意味で、「トーラー陣営」と呼ぶことができる。トーラー陣営の構成要素は、異邦人からイスラエルが自ら分離することを肯定するものと、また何らかの方法で異邦人の間での同化ではないもののイスラエルの統合を正当と認めるものに、容易に区別される。
参考文献
・ユダヤ教の「旧約聖書」とモーセの十戒 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/es003/christ002.html ・聖書と歴史の学習館 http://www.lets-bible.com/judaism/ ・シオンとの架け橋 http://www.zion-jpn.or.jp/israel_history01.html
J.ニューズナー著・山森みか訳(2005)『ユダヤ教』教文館