ユダヤ教6
出典: Jinkawiki
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概要
ユダヤ教とはユダヤ人の宗教で、イスラームとキリスト教と並んで主要な世界宗教の一つであり、古代の中東で生まれた。唯一無二のヤハウェを神とし、一神教の神は完全無欠にして無形であり、世界と人類の創造主であり、世界を超越した存在でありながら、世界の中にもその力が働いている。神は慈悲深く、自らの創造物とその幸せのために、直接的啓示によって自らの意思を人間たちに知らしめ、正しきを命じ、正しきを報い、悪しきを罰する。「旧約聖書」を重要な聖典とし、特徴として選民思想やメシア信仰が挙げられる。
ユダヤ教とキリスト教
ユダヤ教とキリスト教は、もともと一つの宗教であったものが二つに分裂した。一世紀の中頃(すなわちイエスの次の世代)になるまでユダヤ教とキリスト教を隔てる境界線は存在しなかった。二つの異なる宗教になったことについては伝統的なユダヤ教の物語と伝統的なキリスト教の物語が存在している。まず伝統的なユダヤ教の物語はこうである。ユダヤ教は、モーセがシナイ山で授かった古い宗教であり、それ以来ユダヤ人によってまったく変わることなく維持されてきた。しかし、一世紀のある時点でイエスが、そして彼を継いでパウロが、新しい宗教を樹立した。この宗教は、ユダヤ教からいくつもの重要な要素を借用したが、律法を放棄し、イエスはメシアであるとか、さらにはあろうことか神の「受肉」者であるという、いくつかの奇妙で不正確な観念を混入したのである。一方で伝統的なキリスト教の物語はこうである。ユダヤ教はモーセがシナイ山で授かった古い宗教であり、それ以来ユダヤ人によって入念に維持されてきた。しかし、一世紀のある時点でイエスが登場し、この宗教を「完成」して、それを成就した。不幸なことに、ユダヤ人は何が起こったのかを理解せず、頑迷にもその時代遅れになった宗教の形態に固執し続けたのである。物語の二つの版に共通していることは二つの異なる宗教が存在し、両者はともに歴史の一時点で、完全に出来上がった形で天から下りてきた(あるいは発明された)ということだ。すなわち、一つはモーセの時代に、もう一つはイエスの時代である。両者が異なるのは、第二の出来事についての評価と、第二の出来事が第一の出来事に対してもつ関係の理解である。しかし、二つの宗教は、ユダヤ教が「母」なる宗教であり、キリスト教が「娘」にあたる宗教だということでは同意している。しかし学問の世界からその後もたらされたニュースは、物語のどちらの版もまったく的外れだ、ということである。ユダヤ教は前1400年ごろのある日、突然成年の姿で生まれたのではないし、後30年ごろのイエスや、一世代後のパウロでさえ、成熟した協会がもつようなキリスト教の信条や教理問答を宣教したのではなかった。二つの宗教はいずれもそれぞれのテキスト、習慣、信仰がその「伝統的」な形態を獲得する以前に、何世紀にもわたる発展の歴史を歩んだのである。両者は併存し、時とともに変化してやまない状況や洞察に反応しつつ、今日に至るまで発展を続けてきた。実際のところ、ユダヤ教もキリスト教も現代においてさえ、現代的な知識や進歩した道徳的姿勢や世界の諸問題の新しい理解を念頭に置きつつ、これまでと同様に精力的に自己を再編しつつある。「タルムード」やその他のラビ的ユダヤ教の基本文献は、実際にはキリスト教の基本文書である諸福音書よりも後に書かれた。ユダヤ教もキリスト教徒も共にヘブライ語聖書(旧約聖書)の「子供たち」であるが、それぞれを定義づけする文書(新約聖書ないしタルムード)という点に関して見れば、キリスト教徒こそ「兄貴分」なのである。
分裂の理由
新約聖書『使徒言行録』の記述には、ユダヤ教徒とキリスト教徒の間の分裂のもととなったいくつかの要素を照らし出している。明らかにトーラー(道、指示、教え、ただし「法」せはない)の中の特定の規定がなお有効かどうかについて、意見が対立したのである。これは単なる教理論争ではなく、深刻な社会亀裂を意味した。国家や教団は法、習慣、儀礼といったものを通じて自らのアイデンティティーを表現する。小さな相違や個人的な逸脱行為ならばまだ許容され得るかもしれないが、集団で法を放棄するということは、アイデンティティーの拒絶と受け止められてもしかたがない。信徒の共同体に異邦人をも巻き込み、「根から豊かな養分を受ける木」に「野性のオリーブを接ぎ木する」(ローマの信徒への手紙11章17節)というパウロの計画はユダヤ人が自分たちを一つの民族、一つの共同体として理解する仕方とは相容れないものであった。こうして「ユダヤ人と異邦人」を統一するかわりに、それぞれが「真のイスラエル」であることを主張する二つの抗争関係にある集団が生まれてしまったのである。もう一つの明らかな理由は、後50年頃までにイエスの信奉者たちが一つの独自の集団を形成しており、この集団がエルサレムのユダヤ教の指導者たちと相互に対立する関係にあったということだ。
両者の自己の定義
キリスト教徒にとってはイエス・キリストが非常に中心的な意味を持ったので、彼らはその信仰の定義に多大なエネルギーを費やした。三位一体の観念が絶えず議論され、主流者の見解に同意しないものがあれば、しばしば異端者の烙印を押されて迫害の対象となった。ユダヤ人はイエスについてのキリスト教の主張を拒否したので、彼らは「キリストの敵」という汚名をきせられ、ユダヤ教は時代遅れで信じるに値しない宗教だと誹りを受けた。キリスト教の教父たちは、愛についての自分たちの説教にもかかわらず、ユダヤ人とユダヤ教に対しては憎悪を公然と表明し、そのことが異教徒の古典作家にもときおり見られた反セム主義に世界全体の運命にかかわる次元を加えることになった。ラビたちは、正しい信仰の正確な定義づけにはそれほどこだわらなかった。彼らは、神、トーラーを通じた啓示、神によるイスラエルの「選び」を信仰の公理としたが、その一方でユダヤ教を「ミツヴォート」、すなわち神の戒めという見地から定義した。ただしその戒めは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(レビ記19章18節)や「あなたの神である主を愛しなさい」(申命記6章5節)という愛の命令から、微に入り細をうがった宗教的儀礼の規定までの広い幅をもつものなのである。
暦
ユダヤ教の暦の鍵は自然である。一日はおよそのところでは、日の出か日没のどちらかから始まることになるだろうが、実際のところ、その双方の方式がユダヤ教の暦には生き残って併存している。神殿で行われる諸行事は、夜明けとともに始まる日にちの数え方に従ってスケジュールされていた。それ以外のすべての目的にとっては、一日は日没とともに始まった。これが例えば、安息日(シャバット)が金曜日から土曜日にかけての深夜零時にではなく、金曜日の夕方の日没の直前に始まる理由である。その正確な開始時間は、季節や緯度によって異なるため、各地のユダヤ系の新聞には、そのつど掲載されている。実際には安息日がもっと早く、人々が夕食をとる前に始まるので、金曜日の夜はユダヤ人にとって最大の社会的制度の一つになっている。人々はシナゴークでの祈禱に参加し、喜ばしい詩編や讃美歌を歌う。そして蝋燭を明るく灯した自宅に戻り、祝宴でワインを満たした杯の「キドゥーシュ」という祝福の祈りを唱え、相互にパンを裂いて分け合う。食前の祈りが唱えられ、讃美歌が歌われ、かくして家族と客人とは霊的で温かい絆で一つに結ばれる。シナゴークに通わない者や、特別に宗教的でない人々でさえも、金曜日の夜には今でも家族の集まりをもつのが普通である。このように、一日は真夜中ではなく日没に始まる。次は月や年である。ラビたちは、一か月は29日のこともあれば30日のこともある。一年は12か月のこともあれば13か月のこともある。すなわち19年を一周期として、その中に七つのうるう年がもうけられているのである。新月が祝われ、季節の交替を祝われるのだ。
祝祭
巡礼祭
聖書に基盤を持つ、三つの最も人気のある祭りは、「巡礼」の祭りないし「足」の祭りとして知られている。これは古代の時代にはそれらの祭りを祝うために、各地から巡礼者たちがエルサレムの神殿まで徒歩旅行をする習慣になっていたことからきている。三つの巡礼祭は神の前での喜びという、共通の主題を持っている。祭りの喜びは伝統的に、祝宴を催して肉を食べたり、酒を飲んだりすることや、女たちに新しい衣服が買い与えられることによって表現されてきた。しかしこの喜びは、困窮している者たちへの心づかいとも結びついたとき初めて、完全なものになる。三大巡礼祭とは、ペサハ、シャブオット、スッコートである。この三つの巡礼祭にはそれぞれ農業的、歴史的、宗教的意味がある。ペサハとは春の祭りで新たなる成長の始まりと、最初の穀物(大麦)の収穫を祝うという農業的意味がある。また、歴史的意味はエジプトでのイスラエル人の奴隷生活からの脱出を機連している。宗教的意味は、神は救い主であり、イスラエル人はエジプトでのファラオの奴隷であることをやめ、神のみの奴隷となったということだ。シャブオットとは初夏に行われ、遅い穀物(春まき小麦)の収穫と最初の果物の収穫を祝う農業的意味がある。歴史的意味は、この日に神は、イスラエルとの契約の条項としてシナイ山で十戒を授けたことだ。宗教的意味は、エジプトからの救済はシナイ山におけるトーラーの啓示によりその宗教的次元が達成されたとき、初めて完全的なものになったということである。スッコートとは秋に行われ、一年を締めくくる収穫の祭りであるという農業的意味をもち、歴史的意味は、神は荒野でイスラエルを加護したということだ。宗教的意味は、神はわれわれの守護者であり、われわれが家を離れ簡素な仮小屋に住むとき、このことが象徴的にあらわされるとしている。
畏れの日々
ユダヤ教のすべての祝祭日が喜びのときであるわけではない。新年と「贖罪の日」は厳粛なときである。両者は「畏れの日々」とも呼ばれる「悔い改めの十日間」の最初と終わりをなしており、この十日間そのものが新年の一か月前に始まる40日間にわたる懺悔期間の締めくくりをなす。これは春でなく、秋に当たる。祈りの中心をなすのは創造者、王、審判者としての神であり、この神は、彼に従いその慈悲を求める者には赦しと恵みに富むものであることが強調される。この日の最大の特徴は礼拝の中で合い間を置いて何度か「ショーファル」、すなわち雄羊の角笛が吹き鳴らされることだ。ショーファルは、中の穴の形が不規則で吹口の形も悪いので、正確な音を出すのが難しい楽器である。うまく吹かれた場合には、激しい懺悔の気持ちを掻き立て、預言者の言葉を成就する。
断食日
「ヨーム・キップール」以外に、一年を通じて五つの公的な断食日がある。そのうち最も重要なのは「アブの月の第九日」(ティシャ・ベアブ)でこれは二度にわたる神殿の破壊やその他の悲劇を想起するためのものである。「ヨーム・キップール」とこの「ティシャ・ベアブ」は、ともに25時間の断食日であり、その日の日没の直前から翌日の日没後まで、何も食べてはならず、何も飲んではならない。断食することが困難であったり、危険であったりする人々のためには、もちろん免除の制度がある。ほかの日の断食は、日の出から日没までだけである。
今日のユダヤ教
現代の状況から二つの問題点が生まれた。一つは、ユダヤ人の宗教生活での女性の位置である。伝統的にユダヤ教では女性の役割は限られていた。ユダヤ教の伝統派は今日もこの立場を保っており、正統派でさえもほとんど譲歩していない。このような態度が性的平等の時代にあるが、すでにユダヤ人フェミニスト運動が盛んになっている。フェミニストは、伝統的議論に異議を申し立て、宗教のコミュニティーでの女性の役割の拡大を目指し、男尊女卑の宗教的律法の改革を要求している。二つ目の問題は、ユダヤ教とほかの諸宗派との関係だ。ユダヤ教は、自らを救いへ至る唯一の道だとしたことはなかったので、攻撃的な論争や宗教活動から自分を守る必要がない限り、他の宗教とは深くかかわってこなかったが、今日では異なる宗教間の友好関係が大切にされており、キリスト教徒も改宗を訴えるのではなく、協調と対話の精神で、ユダヤ教とより親しい関係を築こうとしている。しかしユダヤ教とキリスト教の関係は、歴史的にあまりよいものではなかったし、多くのユダヤ人はナチスやファシストの反ユダヤ人政策に十分抵抗しなかったばかりか、彼らと共謀さえしていたといって教会を責めている。将来打ち砕かなければならない、偏見という壁はまだ残っているのである。
参考文献
- ユダヤ教とはなにか ニコラス・デ・ラーンジュ著 柄谷凜=訳 青土社 2004年
- 1冊で分かるユダヤ教 ノーマン・ソロモン著 山我哲雄=訳 岩波書店 2003年
C.H