ヨーロッパの家庭環境の変化
出典: Jinkawiki
==ヨーロッパの家庭環境の変化== 家族はヨーロッパ社会の中で疑いもなく最も重要な社会化の機関である。それは生物学的ならびに社会的な再生産の基礎単位である。家族は情緒的にも経済的にも世代を結びつけている。社会における財産と地位の譲渡はしばしば家族を通して行われる。したがって家族は社会的発展過程において鍵となる位置を占めている。家族に関して絶え間ない議論が展開されるのはそのためである。伝統的な社会では、家族は少なくとも倫理的には多くの中心的な社会機能を担っていた。すなわち生物学的な再生産、保護、教育と社会化、経済的な生産などがある。18世紀以降の経済的、政治的、文化的、人工的な動向が家族の社会的な役割の根本的な変化を条件付け、またそれを可能にした。この変化は多くの場合、昨日喪失として把握される。工業化はますます家族営業を解体した。それに伴って仕事場と住居の場が分離した。完成品の供給ならびにサービスの提供の増大は、実質賃金の上昇と結びついて、例えば食料や衣服については家庭での自家生産を余計なものにした。このような変化を家族の崩壊とみなすのではなく、それを一つの解放家庭解放家庭であると解釈するほうが適切である。機能の負担軽減のおかげで、伝統的に支配的―家父長的であった家族構造よりパートナーシップ的―個人主義的な行動生活の形態へと発展することができた。しかしながら第二次世界大戦に至るまで大部分の国では夫に対する法律上の優遇がパートナーシップ的な型を実現するための障害となっていた。第一次世界大戦後まもなく広範に女性選挙権が導入されたが、そのことによってはさしあたり家父長的な親族法を変革するまでには至らなかった。とはいえ、20年代にはノルウェーとスウェーデンの既婚女性は財産―所得の管理、子供の教育、住居地の決定、離婚の請求権などに関して夫と同等の地位におかれることになった。イギリスは30年代になお存続していた法的不平等を廃止した。しかしながら1949年以降戦時の困難な状況が終わると「家族の再建」を意図した復古的な家族政策が支配的になった。大いに期待を抱かせる、両性の平等に関する憲法上の確約がなされたけれども、60年代と70年代にはじめて伝統的な親族法に関する重要な改正法が決議された。それによってパートナーシップ的な家族の理想像が広範に実現されたわけではないとしても、新たな方針はそれぞれの家族成員に、少なくとも法の前ではより多くの独立性と自己責任を与えることによってそのような方向を目指していた。したがって、新たな方針はその時期の社会全体の民主化の過程に対応していた。さらに機能負担は必ずしも機能しないということを意味するわけではない。すでに述べたように家族という背景は今日でもなお決定的に社会的流動性の型を規定している。様々な国の多くの研究が証明しているように、家族生活は高歴と経歴に影響を及ぼしている。家族がより小さくなり硬直した権威主義構的構造が解体されたことによって、その親密さが増し家族は人格的な発達の情緒的な支柱および場として一層重要となってきた。しかしこのような発展からはかつてタルコット・パーソンズの社会学的テーゼに依拠してたびたび想定され懸念されたように、核家族の全般的な社会的孤独化というような事態は生じなかった。いくつかの国で60年代と70年代に行われた研究によれば、親族の間での非常に親密な関係が証明された。大多数の場合には成人した子供とその両親の間で週に1度はふれあいの場が設けられ、兄弟姉妹の間では少なくとも月に1度は連絡をとるということが広く普及していた。 現在は、個人のネットワークとしての家族という形態が日本および欧米諸国での趨勢であり、グローバルな動きであるとしても、北欧や西欧、アメリカ社会での「個人化」をモデルとすることがはたして現実的かつ適切なのであろうか。グローバル化にしても、欧米諸国のような現在のグローバル化を主導する地域圏、社会の動きが、今後も同じような意義と力を持ち続けるのかは、問われなくてはならない。現にアメリカを中心とするグローバル化の方向性については、ヨーロッパ諸国の中でも批判がある。また、アメリカは家族が大きく再編成された歴史を持ち、多民族政策のもとで少子化を免れている国である。ヨーロッパ諸国の中でも、歴史や社会政策の違いにより少子化、家族のあり方は異なっている。「個人化」を基本的な方向として捉えるにしても、その内容とネットワークのあり方は一様ではないであろう。「個人化」をベースとして今後の日本の家族を考えることが仮に出来るとして、その際に日本の特殊性をどう踏まえるかを考える必要があろう。でなければ、つまり欧米モデルの「個人化」を基礎に据えるのであれば、社会の仕組みが根底から変わらなければならない可能性さえあると考えられる。もう一度日本の家族の変化をグローバルな動きと視点の中で考えておくことが必要であろう。こうした論点を考えるにあたり、まず、グローバル化と「個人化」の併行を唱えるU.ベッらの所説とその足元のドイツの「家族の個人化」を概観しておこう。ドイツは家族主義の強い社会であり、アメリカの市場資本主義と一線を画す社会資本主義を標榜することによって、アメリカ主導のグローバル化とは別の道を歩むと考えられてきた社会である。しかし、「個人化」の進行により「家族の危機」言われ、少子化も進んだ。福祉予算の赤字に苦しみ、制度の改編を進めている。アメリカ型の資本主義の浸透にも苦慮している。こうした状態において分析され唱えられる「個人化」とはいかなるものか。「個人化」を理想としてのみ理解することを避けるために、ベックが見据える「個人化」の姿を押さえておくことが必要と考える。
参考文献 *https://www.waseda.jp/inst/weekly/academics/2017/04/21/24210/ 〈国際政治学〉ヨーロッパ統合の意義と イギリスのEU離脱問題 *http://www.esri.go.jp/jp/seisaku_interview/interview2015_08.html 欧州経済の現状と課題|内閣府 経済社会総合研究所 *『20世紀ヨーロッパ社会経済史』浅井淳平(1991) 名古屋大学出版会 *『21世紀ヨーロッパ学:伝統的イメージを検証する』支倉寿子・押村高(2002) ミネルヴァ書房