ヨーロッパの福祉
出典: Jinkawiki
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ヨーロッパの福祉
中世ヨーロッパにおける福祉は宗教による「救済」だった。主にキリスト教などによるものだ。それ以前にも「救済」は存在したが、あくまでも特定の支配関係を前提としたものであり福祉とは言えない。キリスト教の教えでは、浮浪者や、孤児、寡婦、病人など貧しいものには救済するべきとするものだった。司教や修道院がそうした救済活動にかかわってきた。初期のキリスト教が受け入れられた背景には当時のイスラエルにおける以下のような社会不安が影響している。
当時のイスラエルは、ローマ帝国の属領としてヘロデ王が支配していたが、ヘロデは旧勢力の土地を没収し、過酷な税の取り立てを行い、富の格差を拡大させた。その結果、政治的・経済的緊張が高まり、支配に抵抗して盗賊や戦士となる者、故郷を捨て新たな共同生活を送る者、物乞いをする者など、社会的基盤を損失した「関係のない他者」が増加していたのである。
このように、キリストの救済対象が多くいたため信仰されやすかったのである。その後、弾圧の対象であったキリスト教は国に認められるようになり、教会の土地税や、聖職者の人的税などが免除となりキリスト教は特権を得るようになった。その分、教会は貧困者の救済を行っていた。12世紀以降、貧富の格差がより広がり貧民の存在が大きくなった。すると本来修道院や教会に付属する施設であった施療院が貴族や市民により個別の施設としてつくられるようになった。例えば、富裕市民の寄付により聖ヨハネ施療院や、神の家、聖ジャック巡礼兄弟会施療院などの施設が現れていった。
兄弟会の例
中世ヨーロッパには兄弟会と呼ばれる貴族や市民からなる自発的宗教団体が生まれていた。フィレンツェで活躍していた兄弟会の一つとして、聖マルティヌス兄弟会というものがあった。この団体は、貧者への施しで知られる四世紀のトゥールの聖マルティヌスを守護聖人として1442年に設立された。彼らは毎月の守護聖人のための宗教的儀礼活動のほかに、「恥を知る貧者」のための救貧活動を主な務めとしていたことが知られている。この「恥を知る貧者」というのは、もともと堕落した貴族や上級市民が貧困を恥じてあえて物乞いをしない者たちという意味だった。しかし実際は、一時的な理由で貧困に陥った中層以下の者たちが対象であった。都市の」中産手工業者世帯や子持ちの寡婦を対象として活動していた。具体的な活動としては、フィレンツェの229世帯について、家族構成や、住所、職業、年齢など詳細に記録していた。そして、毎週各世帯に直接ワインやパン、現金などを分配していた。このような兄弟会はまさしく最良の貧民救済の例であったと言える。
近世・近代の福祉
14世紀以降の「救済」は教会によるものではなく国家が行う問題に変わっていった。理由は、経済活動が盛んにおこなわれるようになり更に浮浪者などの貧民が多量に発生し、治安問題になったからだ。そこで国は、乞食などを減らすため物乞いを全面的に禁止にした。また、救済の対象をより明確にするよう一種の線引きを行った。このように治安を維持するための対策を行ったため、宗教的位置づけを低下させ、次第に浮浪者や犯罪者などと一括して扱われるようになっていった。
参考文献
岩崎晋也(2018)「福祉原理 社会はなぜ他社を援助する仕組みを作ったのか」有斐閣 川原温 堀越紘一(2015)「中世ヨーロッパの暮らし」有斐閣 岩永理恵 卯月由佳 木下武徳(2018) 「生活保護と貧困対策」河出書房新社