ライン川
出典: Jinkawiki
ライン川(ドイツ語: Rhein、フランス語:Rhin、イタリア語:Reno、オランダ語:Rijn、英語:Rhine)は、ヨーロッパを流れる川である。
スイスアルプスのトマーゼ湖に端を発し、ボーデン湖に入りドイツ・フランスの国境を北に向かう、ストラスブールを越えカールスルーエの少し南からドイツ国内を流れ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、クレーヴェを通りオランダ国内へと入ったあと、ロッテルダムから北海に注いでいる。
全長1,320キロ。そのうちドイツを流れるのは698キロ、ドイツ人はこの川を「父なる川」と呼んでいる。ドナウ川とともに、外国の船が自由に航行する国際河川の一つ。
下流地域は川幅が広く流れが穏やかなため、水運が盛んである。バーゼルから河口までのライン川流域圏はブルーバナナ(「太平洋ベルト」の西欧版)の一部を成す。また、産業革命の中心地のひとつとなったルール工業地帯もライン川とルール川に挟まれる形で位置しており、その充実した内陸水路と豊富な地下資源によって発達した。
ライン川流域のマインツからコブレンツの間は「ロマンティック・ライン」と呼ばれ、多くの古城が点在している。先を急ぐ観光旅行の場合はそのうちの、リューデスハイムからザンクト・ゴアール間のおよそ2時間の船旅を利用する。ハイネの詩「なじかは知らねど…」で有名なローレライの岩山は“ロマンチック・ライン”のシンボルとして有名。ユネスコ世界文化遺産に登録された。
なお、ライン川本流にある滝は、スイス・シャフハウゼン にあるライン滝だけである。
かつては古代ケルト族が上流から下流の広範囲で住居していた。後にキリスト教布教も含んだローマ帝国の軍隊が駐在した。ドルイド教に固持し、改宗を拒んだケルト人は代々の住処を追われ、西進せざるを得なかったという[要出典]。
また、ガイウス・ユリウス・カエサルがガリア戦争で、このライン川を防衛線(リーメス)とするべく転戦し、その基礎を整えた。ガリア戦記では「レヌス川(Rhenus)」と記載されている。この国境としての役割はローマ帝国時代に北帝国崩壊後、長い間ゲルマン世界を形成する上で重要不可欠な要素のひとつとなっていた。
それはゲルマン人たちがこの川に "Vater Rhein" 「父なるライン」という呼び名をつけるほどであった。右岸と比べて左岸(西側)の方に現在でも大きな都市が多いのは、左岸の方が古くからローマ帝国領として栄えていた名残である。
17世紀後半、自然国境説を口実に領土拡大を目指したフランス国王ルイ14世による侵略戦争の結果、西岸に位置するドイツのアルザス地域がフランスに併合されることとなってはじめて自然国境としての役割が復活する。
また、軍事的な役割も大きく、第一次世界大戦までドイツ・フランス両軍の国境防衛ラインの役割を果たしてきた。第一次世界大戦が終結するとフランス側はマジノ線、ドイツ側はジークフリート線を建設し、ライン川は軍事的役割を失った。
現在のライン川付近は、スイスとリヒテンシュタインとオーストリアのフォアアールベルク州の一部、およびドイツ、ドイツとフランスの自然国境となっている。