ラ・ファイエット
出典: Jinkawiki
マリー=ジョゼフ・ドゥ・ラ・ファイエット(1757~1834)はフランスの候爵、軍人、政治家でアメリカ独立戦争、革命とフランス革命において活躍してので「両世界の英雄」として讃えられている。
アメリカでの活躍
ラ・ファイエットは14歳で軍隊に入隊。1775年にアメリカ独立革命が勃発すると啓蒙思想の影響で1877年に20歳の若さで義勇軍としてアメリカ独立軍に参加した。翌78年にフランスがアメリカの独立を承認し米仏同盟を締結。独立革命に拍車をかけ1781年のヨークタウンの戦いで米仏連合軍が勝利しアメリカの独立を決定付けた。この戦いにおいてラ・ファイエットは重要な役割を果たして勝利へと導いた。この時の活躍もあり、2002年にアメリカ合衆国名誉市民にも選ばれている。この時に植民地軍の将軍だったジョージ=ワシントンからは息子のように可愛がられ、そのような関係にも関わらずワシントンからは「父のような人物」と評され、ワシントンからも見ても高い魅力の持ち主だったということだったことがわかる。
フランスでの活躍
戦争が終わり凱旋したあと、1789年にルイ16世によって三部会が召集されラ・ファイエットは貴族身分代表として臨んだが立憲君主制に変革するべきだと考えていた彼は市民代表の側に立って議会政治の実現に向けて行動をした。その後「バスティーユ牢獄襲撃」後に出来た国民軍の司令官になり、ミラボーと立憲王政派の89年クラブを作り、フランス人権宣言の起草者の一人となった。 その後1791年に共和派の集会に対して鎮圧した「シャン・ド・マルスの虐殺」を起こしてパリ国民軍司令官の座を降りた。そしてオーストリアとプロイセンに対する革命戦争が起きると身の危険を感じオーストリアに亡命。ナポレオンが政権を獲得したあとに帰国。1830年に7月革命が勃発したときに再び国民軍の司令官に任命し、ルイ・フィリップを支持したが翌年に解任。3年後の1834年にパリで死去した。