リトルロック校事件
出典: Jinkawiki
アメリカ公民権運動の中で起こった有名な事件の一つ。 別名リトルロックセントラルハイスクール危機
この事件は1957年に起きた。その前年1956年には、アメリカ連邦最高裁が交通機関での差別待遇を憲法違反とする判決を下していた。有名なモントゴメリーでの黒人差別バス・ボイコット運動の成果である。
リトルロック高校はアメリカ南部アーカンソー州リトルロックにある高校で、当時は白人生徒だけが通っていた。 9月、この高校に9名の黒人生徒が初めて入学することになった。 アーカンソー州のフォーバス知事は、250名の州兵を出動させ、学校を包囲した。理由は「黒人生徒の登校により混乱と暴動が起こる怖れがあるから」ということだった。 登校してきた黒人生徒は、校門に待ちかまえていた白人群衆に罵倒され、追い出された。黒人生徒が泣きながら帰る後ろ姿を、出動した州兵達は冷笑を浮かべて見送った。州兵の任務は、黒人生徒の入学を守ることではなく、逆に追い返すためだったのである。 アイゼンハワー大統領は合衆国憲法を守る強い意志をフォーバス知事に対し伝えたが、フォーバス知事はそれに対し州の権限を強く主張し対抗した。両者は会見したが、その夜知事は「私の立場は全く変わっていない。これから授業を再開するときも、州兵の力で黒人学生の入校を拒否するだろう」と語った。知事の過激な発言は、知事選挙における州内の白人票を意識したものと思われる。 その後まもなく、登校してきた9人の黒人生徒とその保護者が、待ちかまえていた800人近くの白人群衆に袋だたきにされた。 大統領は「非常事態宣言」を発表。アーカンソー州の州兵を連邦軍の指揮下に編入するよう命じ、同時に1000人の連邦軍兵士を送り、黒人生徒の入学を護らせた。しかし、その後も連邦軍が〈軍事占領〉する学校に通い、〈軍事占領下〉に銃剣で保護されて卒業せざるを得なかったのである。この事件はテレビ中継されたこともあり、全米、そして全世界に容易に伝わっていった。
参考文献:猿谷 要 著 『アメリカ黒人解放史』