リトルロック校事件3
出典: Jinkawiki
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リトルロック事件
アメリカのアーカンソー州リトルロックにあるセントラル高校において、1957年に起こった人種差別騒動である。
“Separate but equal”としてそれまで合法とされていた白人と黒人の分離は、1954年のブラウン判決により、「公教育の場における人種分離教育は違憲」という最高裁判決となった。 アーカンソー州においても、徐々に教育機関における白人と黒人の人種統合が図られるようになっていった。 そんな中で、1957年にセントラル高校の人種融合教育化が決まり、10人の黒人が転入することになった。しかし、まだ人種統合に反対する人は多く、新学期前にもかかわらず、デモが行われたり、学校の前に群衆が集まる事態であった。 登校初日、知事は黒人生徒の登校を阻止するため、州兵を配置し、黒人たちは暴力と罵声を浴びせられ、やむなく帰宅した。この日の恐怖から、10人のうちの1人は学校を辞めてしまった。 当時のアイゼンハワー大統領はこの事態を受けて、アーカンソー州兵を連邦指揮下におき、セントラル・ハイを占領したが、まだ黒人たちは人種差別を受け、登校できない状態が続いた。アイゼンハワー大統領は黒人生徒の登下校をエスコートするために、州兵に代わって空挺部隊を派遣し、警護をした。空挺部隊の警護がないのは、教室内と女子トイレの中という厳戒態勢だったが、実際にはそこで陰湿ないじめや暴力を受けていたという。9人の生徒たちは孤立無援であり、一人一人が強靭な忍耐心を持たなければならなかった。 嫌がらせや暴力に耐え、無事卒業を迎えた9人の生徒たちは“Little Rock Nine”としてその後その勇気を賞賛された。入学から42年後に、ホワイトハウスにおいて、大統領からアメリカの最高勲章を親授された。
参考文献