ルター2

出典: Jinkawiki

マルティン・ルター(1483~1546)は、ドイツ人神学者で、中世のキリスト教における宗教改革の出発点となった人物である。


目次

生涯

1483年に鉱山労働者の子として、北ドイツのアイスレーベンに生まれる。エルフルト大学に進学し、1505年、その勉学途中で同地にあるアウグスティノ修道会に入る。 1508年には、ヴィッテンベルクの修道院に移り、ヴィッテンベルク大学の聖書学教授になった。 1517年、「95箇条の提題」を発表。 1521年に教皇が正式にルターを破門。 その後、ザクセン選帝侯フリードリヒ賢候にかくまわれ、その間に新約聖書のドイツ語訳を完成させた。


ルターの信仰

修道生活を徹底的に追及する中で、ルターは聖書研究に没頭した。 そして「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰による」(ローマ人への手紙3章28節)という宗教真理を再発見した。そこからルターは「人はただ信仰のみによって義とされ、その信仰のよりどころは聖書以外にない」という新しい信仰原理を見出した。 これは、教会の権威と聖書の二つを重要視するカトリック教会とは方向性が異なり、ルターの聖書を第一とする考えは、プロテスタント教会の源流となったのである。

カトリック教会との対立

ルターは、ドミニコ会修道士ヨハネス・テッツェルの免罪符販売(贖宥)に対し、強く反発した。そして、免罪符を金で買うことで、救われるという考えを批判し、「95箇条の提題」を発表した。 その第1箇条では「キリストが『汝ら悔い改めよ・・』と言われるとき、キリストは信者の全生活が悔い改めであることを望まれた」と述べており、悔い改めること(心を変えて神に近づくこと)をせずに、救いが金で買えることを問題として取り上げた。 その結果として、1519年ライプツィヒ討論会が行われた際、ルターは教皇の権威を否定したため、カトリック教会とは完全に対立することになり、後に破門された。


ドイツ語訳聖書

ルターは、ザクセン選帝侯フリードリヒの居城に保護されている間、新約聖書をドイツ語に翻訳し、その普及に力を注いだ。そして、ルターのドイツ語訳聖書は、近代ドイツ語を確立し、ドイツ文化に大きな影響を与えた。


参考文献

1.「図説 宗教改革」森田安一 河出書房新社 2.「世界史B」東京書籍 3.「聖書」新改訳第2版 日本聖書刊行会


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