ルール地方
出典: Jinkawiki
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特徴
ルール地方はドイツにあるヨーロッパ最大の工業地帯がある場所である。北部にはリッペ川が境となって西にはライン川、南にルール川、そして東にはシュヴェルテ・ウンナ・カーメンの一連地区までの地域を指す。広さは約4,435k㎡で、この地域に住む人口は約524万人である。この地方の主要都市としてユッセン、デュイスブルク、ドルトムント、ボーフム、オーバーハウゼンなどが挙げられる。
ドイツ帝国時代
19世紀に起こった第二次産業革命によってヨーロッパ・アメリカの鉄鋼・機械・化学など重工業の発展の波がドイツにも押し寄せたが、当時のドイツは小国の集まりだったので工業というよりは農業中心の国だった。しかし、ビスマルクの鉄血政策の影響や1871年にプロイセン国王ヴェルヘルム1世が統一ドイツ帝国皇帝に即位したことをきっかけにドイツは工業化していく。
第一次大戦後
ヨーロッパ随一の石炭産出量を誇ったルール工業地帯を中心にして軍用機などさまざまなものを生産し、英、仏、米などと肩を並べるほどにまで成長した。 その後は第一次世界大戦に敗北を喫した際に戦争の賠償金の早期支払いを迫りフランスがルール地方に侵攻、ルール問題が発生する。この問題はアメリカの助けなどもあり一時は解決したが、その際にドイツは工場に全面停止をしてストライキの形で対抗したためドイツ経済は破綻状態になり他にも例を見ないほどのインフレーションを起こした。こうしたインフレも収まり、経済が安定期に入ったと思いきや1929年に世界恐慌が起こりルール地方は真っ先にダメージを受けた。その後政権はヒトラーに変わり失業問題解決した。
戦後
そしてヒトラー率いるドイツは第二次世界大戦を起こすが敗北。戦後はベルリンやドレスデンといった東側工業都市を失った西側は西側欧州の重工業の中心として復興した。東西統一後のドイツにおいてもルール工業地帯は重要性は増し、輸出に依存するドイツ経済を支える地域となっている。
<参考>http://www.dus.emb-japan.go.jp/profile/japanisch/ruhrgebiet.pdf#search