レルヒ少佐
出典: Jinkawiki
レルヒ少佐(本名はテオドル・フォン・レルヒ)は1869年に、プレスブルグに生まれた。ボート、水泳、乗馬、自転車、登山など万能なスポーツマンで会った。軍の成績もきわめて優秀で士官学校卒業にあたっては抜群の成績のため一階級飛び越して中尉になり、参謀学校の優等生でもあった。また一面深く芸術を解し、画を描き、音楽を愛し巧みなテナー出会った。34歳からスキーを始めツダルスキーの新しい滑走方法を聞き、教えをこうために訪問し門下生となる。1910年にレルヒ少佐は日本帝国陸軍に派遣されたときに2組のスキーを持参し多雪地帯にある連帯への配属を希望し高田の13連隊に着任する。この時に日本に初めてスキー技術が伝えられた。レルヒ少佐が日本に来る以前にもスキーを滑っていた記録はあるが、いずれも組織的な練習ではなく、いわば遊びであった。組織的な練習はレルヒ少佐が13連隊で行ったのが最初とされる。 スキーがレルヒ少佐によって伝えられた理由としては1902年に起きた軍部の遭難事件が関係している。青森歩兵第5連隊約200名の八甲田雪中行軍遭難事件が起こり、軍を中心に雪上の交通手段が研究され始めた。そこに白羽の矢が立ったのがスキーであった。当時レルヒ少佐が伝えたスキーは一本杖をもったものであり今のスキーとは少し異なっている。
参考文献
日本スキー教程 スキー技術の歴史と系統