ロサンゼルス暴動
出典: Jinkawiki
ロサンジェルス暴動
アメリカ第二の大都市であるロサンジェルスは、自動車時代に大都市に発展したので、自動車利用を前提に考えていたので、広い面積に拡散した都市となった。映画産業の中心である、ハリウッドも郊外にあり、大阪のUSJや東京ディズニーランドの原型となったt-間パークも郊外にある。戦後は、アフリカ系市民の流入、さらには過去数十年の移民増加により、多様性が際立つ都市になった。 急速な人口増加とエスニック構成が変化してきたために、二十世紀後半に二回の大暴動を経験している。 一九六五年のワッツ暴動として知られる暴動はアフリカ系市民の暴動であった。彼らの「期待の上昇」それと「現実の停滞」との隔たりから起こったといえる。ロサンジェルス市警察は、市長からの独立性が強く、白人警察部長の管轄のもとにあった。一九九二年に白人警察官四人が、無抵抗の黒人市民暴行を加えた事件の裁判で、その光景を偶然撮影していた一般市民のビデオがあったにもかかわらず、白人多数の陪審員が無罪の評決をだしたがために、黒人市民たちの怒りをかうこととなり、それがきっかけで暴動が起こった。 しかし、暴動により略奪放火の対象となったのは主に韓国人系の商店で、貧しかった黒人の居住区に近いコリア・タウンが大きな被害を受けた。
有賀貞 「ヒストリカルガイド アメリカ」 山川出版社 2004 上坂昇 「アメリカ黒人のジレンマ」 明石書店 1987 有賀貞 「エスニック状況の現在」 日本国際問題研究所 1995