ロシアの教科書制度

出典: Jinkawiki

目次

ロシアの教科書制度

ロシア連邦は、89の連邦構成主体からなる連邦国家であり、また、そのうち32の連邦構成主体が民族原理で編成されている多民族国家である。したがって、「国家教育スタンダード」と呼ばれる教育課程基準が連邦構成要素と地方(民族・地域)構成要素及び学校構成要素の三種からなっている。 連邦構成要素とは「文化的及び教育的空間の統一」を図るために連邦全体に適用される共通基準であり、基本的な教育課程内容の義務的最小量、生徒の学習負担の上限、卒業者の学力水準の要件を定めるもの。また、地方構成要素は多民族国家の下で民族文化および地域の文化的伝統と特質を守り、発展させるために定められ、一定の教育内容領域、一定の時間枠等の連邦基準の下で連邦を構成する共和国、州などの89の連邦構成主体の政府が独自に基準を定めるものである。学校構成要素は学校自らの特色ある学校づくりをするために用いる時間枠である。 教科書制度も、この教育課程基準の3層構造に対応し、教育内容の連邦構成要素に対応する教科書は連邦中央の検定機関で、地方構成要素および学校構成要素(選択科目など)に対応する教科書は地方の検定機関で行われる。 今日のロシアの教科書制度の基本的特徴は以下の6つある。

1、発行の多元化:かつては国営教科書出版社が一元的に教科書出版に当たっていたが、今日では、教科書発行している企業は国営含め100社程度。

2、包括的検定制:かつての国定制にかわり、今日では国による検定制度が施行されている。検定は教科書のみに行われるのではなく、練習庁、学習参考書、教師用指導書などを含む「教授方法セット」として包括的に行われている

3、二段階検定制:教科書の検定に限って、「承認」と「推薦」の2種があり、「推薦」を取得しないと一般の学校での採用は不利。

4、使用義務制:学校は検定教科書を使用しなければならない。

5、学校採択制:採択の決定は学校単位で行う。

6、一部無償制:地方負担によるので、地方によっては親が負担するケースも多い


ソビエト期の教科書制度

ロシア革命後、1933年2月12日付けの全ソ連邦共産党(ボリシェビキ)中央委員会決定「初等及び中等学校夜の教科書について」によって国定教科書制度が開始された。依頼、教科書国定制度はソ連崩壊まで存続した。1939年現在の検定会議の前身にあたる教授方法会議がロシア共和国教育人民委員部の附属機関として設けられた。1977年に1936年のスターリン憲法にかわる新たな憲法が制定され、この憲法の45条「教育を受ける権利」2項において、「あらゆる種類の教育の無償制」とともに「学校教科書の無償制」が規定された。これにより、学校図書館に生徒の人数分の教科書を収蔵し生徒に貸与する貸与制による教科書無償制が成立した。そして、その後後期中等教育への進学率の上昇と教授理念研究の深まりを背景とし、教科書検定が行われ、80年代前半までに学校や教員にとって選択の余地のない教科書制度についての最初の検討が行われた。さらに、ペレストロイカ期には「人道的・民主主義的社会主義」への流れの中で、歴史教科書の書き換えなどの混乱を伴いながら、「バリアントやオルタナティブのあるプログラム・教科書・新しい種類の教育文献のための可能性の創造、教師や教育集団が教科書を自ら選択する権利の実現の保障、教科書やその他の教育文献の製作と出版における独占体制の克服」などの方向で教科書制度が模索されていった。1990年12月には教授方法会議が改組され、「普通教育に関するロシア検定議会」となった。この改組の目的は「教育の選択的システム(バリアント・システム)の創設」とその他の教育諸課題の解決であった。


ロシアの教科書制度

1991年末ロシア連邦誕生後、教科書制度は検定教科書が発行されているが使用義務はなく、教員個人に教科書選択・使用の権利を認める自由発行・自由使用制であった。92年に制定されたロシア連邦法「教育について」(以下連邦教育法)によると、連邦が作った教科書をしようしないこと、任意の参考書・資料を授業で使用することが教員の職務上の権利として定められている。これにより、選択できる多様な教科書の作成や出版が行われ、それまで、一社の販売のみだった教科書出版の独占体制は克服され、教師の自作教材が用いられたり、自由な雰囲気が広がっていった。 しかし、経済の低迷・国家財政の窮乏に伴い十分な教科書発行がされず、発行したものも有償化せざる得ない状況となった。91~93年度にかけては、無償制の適用は初等教育のみとされ、94年度からは補助金制度に切り替えられ、97年度からは各地方が予算措置をすることとなり、連邦としての教科書無償制は消滅した。その結果社会的格差が広がる中、国民の負担感や教科書を変えない家庭の広がりが大きな問題となってきている。また、無償措置をとっているモスクワ市など豊かな地域と学校にすら十分な教科書が整備できない貧しい地域との格差も現れている。このような劣悪な教科書の状況にともない、1999年に「普通教育に関する連邦検定会議」は「ロシア連邦教育省連邦検定議会」と改称した。 


教科書制度の改正

大統領がプーチンとなり、連邦中央の権限強化やナショナリズム昂揚などの政策をとるなか、教科書制度は連邦の統一的な教育空間を形成する主要な手段と位置づけられ、検定制度と教科書使用に関する制度が改正された。 2001年から、連邦検定会議の構成が整備され、各教育部会の輪番制が施行され、特定の担当者だけが検定に関ることの内容に改められた。 2002年6月の連邦教育法の改正によっては、同法中の教科書に関する規定において検定を連邦の権限で行うことが明文化され、教科書の選択と使用の自由を教員に認めるものの、教育課程に関する学校としての組織的な決定に従うものと改められた。つまり、検定教科書の使用義務が定められ、個々の教員が自由に教科書を選ぶ権利は制限され、自室的には教育機関が教員の意見を尊重し採択することになった。 地方構成要素にもとづく地方版の教科書検定については、中央は関与しないこととなっていたが、2003年の省令改正により連邦構成要素に抵触する内容の有無を点検するため、地方が検定することができ、また、地方が下した決定を取り消すことが出来る事になった。 


参考

『ロシアの教育課程と教科書』諸外国の教科書に関する調査研究委員会 2005年3月

『新興ロシアの教育』山下徳治著 白石書店 1980年5月


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