ロヒンギャ

出典: Jinkawiki

目次

ロヒンギャとは

 ロヒンギャ民族は8世紀からミャンマーのラカイン州に住んでいたとされている。しかし、明確な歴史史料はほとんど存在せず、古くから居住していたという事実は実証できていない。そのため、ミャンマー政府や国民自体から「ミャンマーの国民」だと認められておらず、外国からの不法移民だとされてしまっている。 民族自体の起源は、インドのベンガル地方で、イスラム教を信仰している。


ロヒンギャ移民の歴史

【15世紀】 残っている史料で、ロヒンギャが最初にラカイン地方に登場するのは15世紀、ラカイン地方に存在していたアラカン王国に始まり、ベンガル出身のムスリムが一定数居住していた。

【19世紀】  ラカイン地方がイギリスの植民地になると、ベンガル地方からラカイン地方へと移民が流入するようになる。

【20世紀】  第二次世界大戦中の日本軍のビルマ占領期に、日本側が武装化した仏教徒ラカイン人と、イギリス側が武装化したムスリムの日英代理戦争が起き、対立が深まる。

【20世紀(戦後)】  戦後も東パキスタン(現バングラデシュ)からの移民が食料を求めてラカイン北西部に流入する。1948年に独立したばかりのビルマ政府は、具体的な統治も及ばない中、武装闘争が起きる。  また、印パ戦争時も、混乱のためラカイン地方へ移民が流入したとされる。


ロヒンギャ問題

本格的な差別が始まったのは、1962年の軍事クーデターによって始まった、ビルマ民族中心主義に基づく社会主義体制の下であり、大規模な難民流出が起きている。 1982年の国籍法改正により、ロヒンギャの人々はミャンマー国民とは認められず、帰化も困難なため「無国籍」となり、ベンガル地方からやってきた「不法移民」として扱われるようになってしまった。これにより、不法移民調査という名目で大義名分ができたミャンマー政府は、ロヒンギャの人々を差別することとなり、ロヒンギャの人々は様々な中傷や人的攻撃にさらされることとなってしまった。 また、ロヒンギャの人々が民主化運動を支援したために、それまでの差別、迫害がより一層強まった。 1991~1992年には、政府軍がラカイン州に集まり、ロヒンギャの村落を焼き払い、財産や家財を没収するなど、一方的な攻撃がなされた。また、ロヒンギャの人々は軍施設や橋の建設など、強制労働をさせられ、反抗すれば殺害されるなど非常に困難な状況に追い込まれた。この間、25万人以上のロヒンギャの人々がバングラデシュに逃れることとなった。 しかし、ロヒンギャの人々は逃れることも困難な状況である。難民条約に加盟していない国では、ロヒンギャの人々は、「不法入国」とされ、逃げ場すら限られてしまっている。


ロヒンギャに対する差別原因

 ミャンマー国民がロヒンギャを差別する理由には3つある。 1つはロヒンギャが保守的なイスラム教を信仰する民族だからである。ミャンマーは国民の9割近くを仏教徒が占めており、少数派のキリスト教徒やヒンドゥー教徒に対しては、さほどの差別意識を持たないが、ムスリムには強い嫌悪感を有していると言われている。 また、人口統計では証明できないにもかかわらず、大多数のミャンマー国民はムスリムが高い出生率を維持して人口を増やし、「仏教徒の聖地」ミャンマーを乗っ取るのではないかという漠然とした恐怖心を抱いている。 また、ムスリムが仏教徒女性を騙して結婚し、イスラム教に改宗させ、子供をたくさん産ませているという根拠のない「意識」も広くいきわたっている。 2つ目にロヒンギャに対する人種差別意識の存在である。肌の色が一般的なミャンマー土着民族より黒く、顔の彫りが深く、ミャンマーの国家語であるビルマ語を上手にしゃべれない(ロヒンギャ語を母語にしている)ことへの嫌悪感が、彼らに対する差別を助長させている。 3つ目は、ロヒンギャがベンガル地方(バングラデシュ)から入ってきた「不法移民」であり、勝手に「ロヒンギャ」なる民族名称を名乗り、「ミャンマー連邦の土着民族を騙っている」という意識が根強く、これに対して強い反発を有しているからである。 ミャンマー国民にとって、ロヒンギャは「民族」ではなく、「ベンガルからの(不法)移民集団」でしかない。リベラル派(民主化支援派)のミャンマー人であっても、そうした理解に大きな違いはないとされる。



ロヒンギャ問題に対しての支援

 ロヒンギャ問題は、単純な人と人との対立ではなく宗教的・歴史的対立要因が混在し、簡単に解決できないものである。また、難民の流入により、様々な国を巻き込んで大きな国際問題に発展してしまっている。イギリスの植民地下にあった過去や、第二次世界大戦によって、利用され引き起こされた代理戦争は結果的に宗教戦争となり、民族対立を確かなものにしてしまった。

国連WEPの2017年9月時点の支援状況によると、 『・46万人を登録し、今後6か月間、2週間おきに25キロの米を配布予定。これまでに少なくとも1回は配布済み。 ・20万人以上に緊急食糧支援として栄養強化ビスケットを配布。このビスケットは2~3日分の食事となるもので、調理が不要ですぐに食べられます。 ・特に懸念されるのは、空腹にさいなまれ、ひどい栄養状態で国境を越えてきた女性と子どもたち。到着後も極めて簡素な住居での暮らしを余儀なくされています。国連WFPは、乳幼児や妊婦、授乳中の母親計6万人近くに対し、小麦と大豆の粉にビタミン・ミネラルを添付した栄養価の高い「スーパーシリアルプラス」という栄養強化粉を配布しました。 ・バングラデシュに逃れてくる人々は増加する一方です。国連WFPや連携機関は支援物資の配布に先立ってこれらの人々の登録作業を進めています。今後、国連WFPは米に加え、豆や食用油も配布する予定です。 ・今後6か月間、109万人に対し食糧支援を行うには、7,270万米ドルが必要です。支援対象者の内訳は、新たにバングラデシュに逃れてきた人70万人、8月以前に逃れてきた人7万5千人、すでに登録済みの難民3万4千人、難民受け入れ地域に元から住んでいる住民20万人です。 ・国際移住機関(IOM)によれば、8月25日以降、バングラデシュに逃れてきた人々は43万6千人にのぼります。』


支援状況はとても厳しく、現状109万人という莫大な人々を支援することもままなっていない。また、一番の避難先であるバングラデシュに難民として逃れてくる人もより加速して増えるとされている。バングラデシュ以外の国や土地に逃れてくる人も多く、ほかの近隣諸国の受け入れも難民条約の加盟推進とともに、強化していかなくてはならない。また、単純な食糧難のほかに、人が多く流れ込んでいくため起きる居住環境の悪化、衛生面での問題も深刻である。安全な土地に危険を顧みずに逃げ込んだとしても、病気・飢餓など、支援不足により二次的被害が生じる恐れが考えられる。


福祉と言ったら、NGO・NPOなどの民間の組織単位を想像しやすいが、国単位で動かなくては解決しない部分もある。11月23日、バングラデシュとミャンマーの両政府はバングラデシュ国内にいるロヒンギャ難民の帰還で合意する。その前日の22日には米国国務省がロヒンギャ問題を「民族浄化」と呼ぶなど、ミャンマー政府やそれを率いるアウン・サン・スー・チー氏への国際的な批判も高まってきていた。この合意は、国際的な批判を背景に、ミャンマーがバングラデシュに譲歩したものといえる。  しかし、「帰還合意」がロヒンギャ問題の解決をもたらすのだろうか。  両国政府はバングラデシュ国内にいるロヒンギャ難民を2ヵ月以内に帰還させることで合意。しかし、その他の詳細は明らかにされていない。 例えば、ミャンマー政府高官は「1日最大300人のペースでの帰還」に言及しているが、これでは2ヵ月以内の帰還は不可能である。さらに重要なのは、今回の合意では「帰国した後の条件」に関して不明なまま、ということである。つまり、ミャンマー政府は帰国したロヒンギャの取り扱い方について何も取り決めがなされていない。 先述のように、ミャンマー政府はロヒンギャを国民として認めておらず、これによって「不法移民を国外退去させている」と主張してきている。市民権が曖昧なまま帰国すれば、帰国したロヒンギャがやはり「不法移民」として一箇所に集められたり、劣悪な対応を受けたりするなどが考えられる。少なくとも、今回の合意によって、ミャンマー国内でのロヒンギャの処遇が改善されるとはいえない。いかに福祉活動を行っていても一時的な対応にとどまり、事の原因を国単位で考えていかなくては真の解決にはならないだろう。


アウンサンスーチー氏が2018年1月10日、ロヒンギャのテロリスト10人を殺害したと、初めて一部で不法行為があった事実を認め、関係者を処罰する方針を示したと発表したが、事態はそうではない。 国際医療支援団体「国境なき医師団」は、バングラへ逃げた難民への聞き取り調査(17年12月)を基に、8月から1カ月の間に「少なくとも6700人のロヒンギャが犠牲になった」と推計を発表した。現地、その場にいる支援団体が建設・医療分野に限らず、「真実の声」を国際社会と連携して発表していかなくてはならない。


参考資料

毎日新聞デジタル https://mainichi.jp/articles/20180113/ddm/003/030/073000c

国連WEPニュース http://ja.wfp.org/news/news-release/170927

HN yutaro


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