ローザ・パークス事件
出典: Jinkawiki
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ローザ・パークス
ローザ・リー・ルイーズ・マーコリー・パークスは、大工だった父と教師だった母の間に1913年黒人差別が激化していた頃の南部アラバマ州のアフリカ系アメリカ人の家庭に生まれた。また2005年10月24日に死去した。1995年12月1日に起こったローザ・パークス事件の当事者として事件に関わり、後にアメリカ連邦議会より「公民権運動の母」と呼ばれ、教科書にも載っている。モンゴメリー市の教会に赴任したばかりのマーティン・ルーサー・キング牧師とともに人(この場合は黒人に対する)の自由と人権を求めバスボイコットを行った。ローザ・パークスとキング牧師のバスボイコット運動は黒人に対する人権運動の始まりであるといえ、ついに人種侵害の法律を改正するという偉業を成し遂げた。こういった活動を行う前から彼女は全米黒人地位向上協会の書記を務めており、黒人の人権を保障するため尽力していた。この時代女性がこういった活動に参加するのは非常に珍しいことであり女性の社会進出にも貢献したといえる。ローザ・パークス事件が起こったことにより勤めていた百貨店をリストラされ、さまざまな職につき、民主党下級議員(ジョン・コンヤーズ)のスタッフを勤めたりした。1987年ローザ・レイモンド・パークス自己開発教育センターを設立した(このレイモンドとは夫の名前からとっている)。この施設は青少年の教育のために設立されたものである。2009年アメリカの連邦議会は最も偉大なアメリカ人に贈る議会金メダル(ほとんどが男性で女性は10人ほどしか受賞していない。主な女性受賞者としてマザーテレサやアウン・サン・スーチンなどが挙げられる)を送った。現代アメリカ文化の象徴的存在であり、人権擁護運動の共有遺産として国際的に高い評価を受けている。
アメリカのバス
当時の米国の南部諸州ではジム・クロウ法(人種隔離法)が施行され、レストランなど公共の場所で、白人と黒人(日本人や中国人などの人々も含まれた)など有色人種の席を別にする制度が実施され、黒人の投票権も制限されていた。人種隔離法に基づいたモンゴメリー市バスの乗車ルールでは、前方に白人専用席があり、黒人はそこに座ることは許されず、その中間席は白人がいない時は黒人が座ってもよいことになっていた。しかし白人席が満席になると、黒人は白人に自分の席を譲ることになっていた。
事件の概要
1955年12月1日、百貨店の仕事を終えたローザ・パークスはバスに乗り、白人用の席に座っていた。バスが混んでいたため運転手(ジェイムズ・ブレイク)がローザ・パークスに白人に席を座ることを要求したところ、彼女はこれを拒否した。彼女のほか3人の黒人がいたが彼らは席を白人に譲った。運転手は忠告しても彼女は席を譲らなかったため運転手が通報し、彼女は逮捕され罰金を支払うこととなった。強い憤りを感じたローザ・パークスはキング牧師とともにバスボイコット(乗車拒否)を381日間(1年間と16日)決行。その間黒人は歩いたり車に何人かで乗ったりして職場や学校に向かっていた。バスなどの交通機関の利用者の大半が黒人だったことから交通機関は大きな影響を受けた。
ジム・クロウ法に基づいた差別
南北戦争(1861年4月から65年3月まで続いた戦争。アメリカ合衆国の北部諸州と南部諸州との内戦であり最初南部が優勢であったが人口と経済力に優る北部がリンカーン大統領による奴隷解放運動などを行い世論の支持、イギリス・フラン以外の諸国から支持を受けリッチモンドを陥落し北部が勝利した)後南部で公共施設や交通機関で白人と黒人を分離するための法であり、合法的に人種分離を行うことになる。民州法に多くこういったものが取り入れられた。その例として挙げられるものが白人女性の看護師がいる病院では黒人男性は患者として対いることができない。バス停留所には白人と黒人用の券売機や出入り口に分かれている。白人と黒人がともに食事をできるようなレストランの禁止などをアラバマ州が制定。白人と黒人の結婚を禁止し、血筋をたどることにより白人と黒人をわける、結婚をしていない白人と黒人が一緒に住むこと、同じ部屋で暮らすことを禁じたフロリダ州法がある。1960年ごろまでは黒人を入学させない大学も存在していた。
この事件がもたらした成果
乗車拒否運動により、1956年に連邦最高裁判所はこのローザ・パークス事件に対しローザ・パークスが逮捕されたのは違憲とし交通機関における人種差別を禁止した。今までこういった事件で検挙されていた黒人は素行がよくなかったりと人種差別を訴えるにあたっては弱い懸念材料であったがローザ・パークスは一般の女性かつ黒人の人権運動に関わりのある人物であったため公民権運動のきっかけとして大きな力を発揮し、黒人が州法を変えるという結果を生み出すこととなる。彼女の勇気ある行動により黒人の人権侵害問題が改善していく力となった。1964年に人種差別を禁止する「公民権法」、1965年に黒人も白人と変わらず投票権を持つという「投票権法」ができたのも彼女の行動のおかげだということができる。
参考文献
http://tamutamu2011.kuronowish.com/pa-kusu.htm(ローザ・パークス)
http://www.nozomi-op.co.jp/kajihara/kajiwara13.htm(梶原寿のページ)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1150640586(yahoo知恵袋)
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/pdfs/wwwf-pub-freeatlast5.pdf(運動が始まった)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3041.html
http://vukivuki.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-8c0a.html(聖教新聞)