ローザ・パークス事件3
出典: Jinkawiki
≪人物≫ ローザ・ルーズ・パークスは、1913年2月4日黒人差別が激しかった頃の南部アラバマ州のアフリカ系アメリカ人の家庭に生まれた。
≪概要≫ 1955年12月1日、ローザ・ルイス・パークスという、42歳のきちんとした身なりの眼鏡をかけた混血の縫い子が、くりーヴランド通りを走りバスの中で、白人の男性に席を譲ることを拒否し逮捕されるという事件が起きた。かつて南部には、黒人が白人から差別され邪険に扱われるような法律や習慣があった。 この事件をきっかけに、バスのボイコットが始まる。モンゴメリーにある黒人が経営するタクシー会社18社はタクシーをすべてバス停で停め、バス料金と同じ10セントを乗車料としてとることに同意しました。しかし、人々は空きのあるタクシーを待たなければなりません。また、もっと悪いことに、天候は雨でした。月曜の朝、空はどんより暗かったのですが、そんなことは全く関係ありませんした。黒人は皆、バスの人種隔離制にはほとんど嫌気がさしていました。人々はバスに乗らず、バス停で黒人が経営するタクシーが来るのを待ちました。または歩いたり、車に相乗したりしたのです。その結果、モンゴメリーの市バスは実質上、空っぽになってしまいました。この時、市バスの経営が、どれほど黒人乗客に負うものだったのか、あれほどはっきり証明したことはかつてありませんでした。また、モンゴメリーの黒人コミュニティーがバスの人種隔離に抗議するために、あのように一体となったことはありませんでした。
≪キング牧師との出会い≫ ある日、パークスは、ジェファソン・デイヴィス通りにあるメトロポリタン統一メソジスト教会で開かれたNAACPのカギに参加して、希望を甦らせる。その日パークスは、将来公民権運動において、彼女よりも有名となる数少ない人物マーティン・キング・ジュニアと初めて出会う。その夜、キング獄死のNAACPで行った「ブラウン判決」に関する演説には30人が出席しただけで、そのほとんどは女性であった。最前列に座っていたのはパークスだった。この演説でパークスは牧師の雄弁さに深い感銘を受けた。
≪参考文献≫
・ローザ・パークス自伝 「黒人の誇り・人間の誇り」サイマル出版会
・「ローザ・パークス」岩波書店
・http://tamutamu2011.kuronowish.com/pa-kusu.htm