ローゼンバーグ事件
出典: Jinkawiki
東西冷戦を背景に米人技師が、米原子力機密を入手、それをソ連に提供、原子力爆弾づくりを助けたとされ、死刑にされた事件。 技師ジュリアス・ローゼンバーグは、1950年7月、第二次大戦中、マンハッタン計画に機械工として働いた義弟デービット・グリーングラスとともにソ連のスパイとして働き、ソ連に原子力に関する秘密を漏らした嫌疑で逮捕された。妻エセルは同8月、夫、弟、ドイツ系イギリス人クラウス・フックスと共謀、スパイを働いたとして逮捕された。夫妻は1953年、死刑に処せられた。 ローゼンバーグ夫妻がソ連スパイとして働いたか否かに関する物証はなく、グリーングラスの証言しかなかった。このため、米国内はもとより世界で、ローゼンバーグ夫妻の無実を訴えるデモが起き、世界の紙誌は「冷戦の犠牲者」と書き立てた。 処刑を聞いた仏哲学者サルトルは『リベラシオン』誌に、米国で有名な誤審事件、「サッコ=バンゼッティ事件」を引き、「合法的リンチで、米国を血でけがしたもの」と非難した。 昨年、米『タイム』誌のストローブ・タルボット記者らが、生前のニキタ・フルシチョフ・ソ連首相がテープに残した回顧録『フルシチョフ・リメンバーズ』(邦訳『フルシチョフ回顧録』)を出版した。 この本でフルシチョフ元首相はローゼンバーグ夫妻に触れ、「いくつかの問題で、何人かの人々が原子力エネルギー生産を速やかに行い、最初の原子力爆弾を製造するのを助けてくれた。これらの人々は犠牲を払った。彼らはソ連の手先でもスパイでもなかった。我々の思想に同情した人々だ。ソ連が原子力爆弾で武装できるよう助けるため、できるだけのことをし、そのため、アメリカに敵対した。」と回想している。元首相によれば、夫妻は、結果的にスパイを働いていたことになる。
参考文献 20世紀のドラマⅠ 読売新聞社編集局(編)東京書籍出版 1992年5月13日